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2017年5月6日土曜日
今こそ、排外主義にNO!4.16ACTION-日本の難民・入管政策を撃つ!- 集会&デモの報告
そもそも昨今に跋扈し始めた排外主義勢力登場のはるか以前から日本で続けられている、移民受け入れの拒絶・人権無視の入管政策・搾取の対象としかしない外国人労働者の扱い。これらを漫然と許してきてしまった日本人総体のあり様をあらためて見つめ直し、変革の第一歩とすべく今回の企画を立ち上げた。また、幅広い陣形形成を目指し、今回はAPFS労働組合と直接行動との共催という形を取った。
集会はAPFS労組山口委員長の司会挨拶で始まった。本来は労組所属の外国人労働者から生の声を聞きたいところだが、会場前に露骨に陣取る公安警察の目もあり、政治活動関与を理由にした不利益を蒙る可能性があり諦めざるを得ない、との話がなされた。弱い立場にある当該の人々に思いを馳せる必要性は勿論、冒頭から日本人と外国人労働者の関係性を突きつけられた思いだった。
続いて連絡会メンバーによる集会趣旨説明。ヘイトスピーチ解消法に「適法居住要件」が入れられてしまった問題があり、移民・難民反対デモは今も行われている。国連勧告を踏みにじる条文を含んだ法律が通り、頻繁な大量強制送還、入管施設内での死亡事件も起こっている、と日本の政策が悪意に満ちたものであると弾劾した。
メインの講演は、山村淳平さんによる「入管にひそむ排外主義-現場からの報告」。山村さんは内科医として在日外国人の医療に携わり、難民・実習生問題に取り組みながら移住者支援を行っておられる。
山村さんは医師らしく、難民・移民を巡る社会問題を病気になぞらえ、診断・治療・予防という観点から話をされていった。
日本の入管は外国人嫌悪症候群という病に侵されている。諸外国と比べて規制が厳しく、受け入れ態勢というものがそもそもない。要は不認定・排除のための法律となっていて、在日朝鮮人を追い出すために作られた法律の動機を今だに継承している。申請数が少なかった80年代初頭はそれなりの数値だった難民認定率は2016年は0.3%(28人)。(本文作成者補足:ネット上のある記述によれば、2014年は、カナダ46%・1万人、イギリス31%・1万人、アメリカ30%・2.2万人、ドイツ26%・3.3万人、韓国4%・94人、難民発生周辺国はこれらより更に大きい数値になると思われる。)
90年代からはオーバーステイ(非正規滞在)も増えてきた。2014年からこの件の取締りが強化され、労働相談場所の前で待ち伏せるケースも見られた。こうなると、医療を受ける権利さえ奪われていくことになる。
収容所の収容率は減少傾向にあるものの、病人・子供・妊婦までもが収容されている。そもそも、認定されないと分かっている難民申請者を何年も収容することに何の意味があるのか。自殺未遂は毎年40件に及ぶ。権力による暴行事件も減少傾向ではあるが、今だに頚椎症に至るケースが発生する。
2013年からはチャーター機による強制送還が始まった。2015年には一人当たり159万円(22人)かかった。これ程の予算をかけて行わなければならないことなのか。送還中の飛行機内での死亡事件も起こっている(一審では勝利)。送還されれば生活基盤は崩壊するし、生命の危険にさらされるケースもある。
日本人は単一民族という幻想(嘘)で日本という国家を権力は維持しようとしている。これを維持するために、メディアをも動員して排外主義ウイルスを撒き散らして民衆を洗脳し、差を差別へと転化して民衆への統制支配の道具としていく。差別し隔離していくやり方はまるで悪しき感染症対策だ。
こういう外国人嫌悪症候群へは予防注射が必要。ウイルスを撒き散らす法務省・入管の監視や申し入れが必要だし、民衆・マスコミ等への情報発信も行っていかなければならない。
講演後の参加者との質疑では更に様々な問題点が提出された。諸外国では「移民政策」なのに、日本では入国「管理」で、そもそも受け入れるという考えがない。50年代ならまだしも、グローバル化が進んだ現代においてはこの体制を維持するのは無理。自治体が謳う「多文化共生」とも相容れない。難民条約に加盟しているのは常任理事国の座を睨んだ国際的アピールに過ぎない。強制送還についても掘り下げられ、突然の強制送還によって家財道具や貯金も放棄させられ生活基盤を失うばかりか、刑務所へ直行させられたスリランカ人2名の例、日本人と結婚したイラン人の場合で日本人女性が移住したケース、50年前ではあるが在日朝鮮人2名が処刑された例、が語られた。
更に、法律を変えるには国会議員への働きかけが必要だが、票にならないため基本的には議員には興味がない状態、そもそも日本では民衆の権利が軽んじられているという土台の上に外国人への処遇がある、民衆が権力に疑いを持つ必要がある、等々が語られた。
山村さんの講演終了後は友好団体から連帯の挨拶をいただいた。デマで沖縄への偏見をあおるMXニュース女子を許さない市民有志・共謀罪の創設に反対する百人委員会・反天皇制運動連絡会・難民を支援し連帯する会、からアピールを受けた。
日本にいる220万人の外国人・90~100万人の移住労働者と同じ人間として手を繋げる社会を作り上げようという司会の挨拶と、直接行動メンバーによる集会決議の読みあげの後、賑わいのある高田馬場を通るデモに出発した。
なお、参加者は集会80名、デモは70名でした。
なお、参加者は集会80名、デモは70名でした。
2017年5月5日金曜日
4/16集会決議
2009年、埼玉県在住のフィリピン人一家の「追放」を叫ぶヘイトデモ=在特会をはじめとする差別・排外主義勢力との闘いは、この時のカウンター行動をきっかけに開始された。
8年後の今、反ヘイト・反レイシズム運動はこの問題を社会化し、ヘイトデモを阻む一定の成果を勝ち得てきたが、社会的状況は悪化の一途をたどっている。街頭からネット空間までヘイト・レイシズムは凄まじい勢いで増殖し、沖縄の辺野古・高江の闘いに対しては、警察権力の弾圧と一体となって差別・デマ攻撃―バッシングにのりだした。この攻撃はまた「共謀罪」法案が狙う運動つぶしに通底するものだ。日本会議と癒着する安倍政権も、「教育勅語」肯定発言にも体現されているように、その醜悪なる本性を露わにしながら改憲―戦争のできる国へ向かっている。
トランプの大統領就任以降のアメリカでは、あからさまな移民排斥、人種差別発言と司法もメディアも敵に回す政策など排外主義ナショナリズムを剥き出しにした政権に対して、国内はもとより全世界で怒りと反撃の狼煙が上がった。
この事態に、安倍政権はトランプに恭順の意を示し、差別・排外主義勢力が喝采を送る一方で、世界の怒りの声に連帯する声は圧倒的に弱いのが日本の現状である。それどころか、未だにポピュリズムの問題に解消したり、グローバリズムに対する反乱だのといった論調がまかり通っている。しかし、何よりも問題とすべきは、そもそも民主主義国家?としては信じがたき難民受け入れの少なさ、外国人の人権を踏みにじる旧態依然の入管体制・政策、移住労働者への不当な搾取・差別的処遇ではないのか。それらを放置することなく根本から改めさせ、現状を変革してゆくこと抜きに、国境を越えた連帯も空疎なスローガンでしかない。
4.16ACTIONは、そうした現状認識と危機感をもった運動体が結集し、各々が連帯・共闘関係のなかで積み上げてきた個別課題を共有しながら、個別課題を越えた共同討論・共同闘争の地平をともに作り出すステップとして準備された。まだささやかな一歩ではあるが、暗雲立ち込める現状に風穴を明け、前途を照らし出す光明として発展させてゆきたい。
格差・不平等を拡大しマイノリティへの憎悪を煽る排外主義ナショナリズムを許すな! 沖縄への弾圧とヘイト攻撃に抗し沖縄の闘いに連帯しよう! 日本の難民・入管政策を改め難民を受け入れろ! 移住労働者の権利を守り、当事者と結んで闘おう! 生きる権利に国境はない! 権利のための闘いを圧殺する「共謀罪」を葬り去ろう!
2017年4月16日
今こそ、排外主義にNO! 4.16ACTION参加者一同
2016年11月30日水曜日
12.11差別・排外主義に反対するシンポジウム
12.11差別・排外主義に反対するシンポジウム
--解消法・川崎・都知事選・山ゆり園事件―現状と課題を考える--■日時 12月11日(日)14:00~ (13:30開場)
■会場 文京区民センター2A会議室(文京区本郷4丁目15-14)
■パネリスト 安田浩一さん 師岡康子さん
『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワークの方や障害者団体の方
■資料代 500円
在日外国人や社会的弱者を差別し排除し攻撃するヘイトピーチは、今年もまた各地で吹き荒れました。しかし一方で、地域や在日当事者、日本人市民の力でそれらを跳ね返し、共生の社会を作っていこうという輪も広がりを見せています。
市民のカウンター行動や相次ぐ司法判断で一時の勢いがなくなった「在特会」等ですが、7月の都知事選挙に前会長の桜井誠が立候補して「選挙運動」を隠れ蓑に凄まじいばかりのヘイトスピーチ、差別言辞をまき散らしました。その結果、11万4千票を獲得したことは、彼らを支持する基盤がなお存在していることを示しています。
安倍を筆頭に現閣僚の大半が、「日本会議」の有力議員であり、政府自らが差別政策(歴史修正主義に基づく日本軍「慰安婦」問題に関する日韓合意、朝鮮学校差別、沖縄差別、外国人実習生問題、社会保障制度改悪等)を推し進め、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムが頻発する土壌を強化しています。
こうした中でも、反ヘイトの運動は確実に前進しています。
5月26日には、「ヘイトスピーチ解消法」が成立しました。多くの課題、問題点を抱えつつも、在日外国人への「差別的言動」を許さず、その解消を目指す法律が日本で初めて誕生しました。その成立に大きな役割を果たした川崎市の在日コリアン等の人々は、執拗な在特会の攻撃、妨害を地域住民、日本人市民との共同の力で跳ね返しました。大阪では、ネットで在特会のヘイト攻撃を受け裁判所に訴えた在日コリアンの女性ライターが勝訴しました。差別・排外主義勢力に対する社会的包囲網は着実に広がっています。
一方、7月26日に神奈川県相模原市の知的障害者施設で、入所者46人(職員3人を含む)が殺傷されるという大量殺傷事件が起きました。容疑者は、「(障害者を抹殺することが)全人類のために必要不可欠」と公言して犯行に及びました。「優秀」な者にのみ存在価値を認める優生思想が実行に移されて、戦後最大のヘイトクライムが引き起こされたのです。大量殺傷にまで行き着いてしまったヘイトクライム、それを二度と起こさせないという決意を新たにするものです。そのために私達はどのような闘いをしたらいいのかが大きな課題になっています。
反ヘイト運動の先頭に立ってきた人々をお招きしてシンポジウムを開催し、共に今年の活動を振り返り、今後の展望を語り合っていきたいと思います。2016年11月29日火曜日
響きあう反ヘイトの声~10・16新宿デモ
響きあう反ヘイトの声~10・16新宿デモ―10.16ACTIONの報告―
「生きる権利に国境はない!」「私たちの仲間に手を出すな!」。この言葉を、単なるスローガンではなく、実際の社会のあり方として実現していかなければならないと考えさせる事態が続いています。今年4月に起きた熊本地震では、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」なるデマがネットで流されたかと思えば、沖縄・高江のヘリパッド建設阻止行動の現場では、機動隊員が抗議する市民に対して「土人」「シナ人」と差別暴言を浴びせるという事件も起きています(10月18日)。執拗なヘイトデモ・ヘイト街宣も各地で続いています。そして7月26日、相模原市の「障害者」施設で「(障害者抹殺が)全人類のために必要」と公言する犯人によって46人が殺傷(うち19人死亡)されるという衝撃的な事件が起きました。ヘイトが、ついに大量殺傷ヘイトクライムにまで行き着いてしまったのです。
そのような全体状況を撃つものとして、私たちは今年の新宿デモを企画しました。題して「生きる権利に国境はない!差別・排外主義を許すな!10・16ACTION」。130人の参加を得て、新宿駅西口・南口から靖国通りそして職安通りを2時間で歩きました。毎年秋この地区を歩く定例デモになっていますが、2011年から始まって今年で6年目になります。昨年あたりから沿道の反応が目に見えて良くなってきていますが、今年はさらに好感度がアップしている感じです。
区役所前に曲がったときに、私たちのビラを受け取ってくれた20代の女性が、デモの様子をスマホで撮影し始めました。そこから職安通りの途中までずっと歩道を歩いて並んでいているので、職安通りに出たところで声をかけると、留学生だということでした。彼女は笑顔で小さく手を振ってれます。また沿道のコンビニから出てきた若いカップルが、手をつなぎ私たちの朝鮮語のメッセージを何度も唱和してくれています。
職安通りでは、先導車から私たちの用意した朝鮮語のコールや参加者の在日の方の朝鮮語のメッセージに、沿道の両側から沢山の笑顔があふれました。朝鮮語のシュプレヒコールに、反対側の歩道で朝鮮語で唱和する方がいました。教会のバザーに参加していた人が僕らの隊列に手をふっています。お店の人が仕事の手を止め店先に出てきて笑顔で手を振っています。ビルの上の階から窓を開け手を振ってくれる方もいます。
「自分たちの主張を訴える」ということを越えて、デモンストレーションが持っている本来の機能~周りの人に訴えを理解してもらって仲間を増やす~の萌芽が見え始めていると感じます。
デモで歩きながら朝鮮語のコールで街の人々に訴えるという上記の試みは、数年前から行なっていますし、デモの1週間前に地元商店街に事前の告知ビラを配布することは最初の年から継続しています。それらの取り組みが実を結び始めた感触があります。
デモの開始にあたっては、6つの団体・個人の方から連帯アピールをいただきました。「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」「『国連・人権勧告の実現を!』実行委員会」「全国『精神病』者集団会員」「辺野古リレー」「DA直接行動」「反天皇制運動連絡会」です。その皆さんからのアピールの内容は、政府自体が差別的な政策を推進していることで共通していました。
「(在日コリアンの生徒を)日本の学校に入れているから差別はない」とする、あるいは「知的障害者」や「精神障害者」を「何も理解できない人間」と規定して「人権擁護」という衣のもとに権利を制限するなど、黒を白と言いくるめるようなウソの論理をもって差別政策が推し進められています。そしてさらに、PKOの「駆けつけ警護」で自衛官が海外で人を殺すということも予想されるというところまで事態は来てしまっています。そのような国が国連人権理事会の理事国に立候補しているというのは、まさしく政治的欺瞞以外の何物でもありません。
ヘイトがなくならないあるいは強まっている状況を変えるには、国家の政治のあり方を変える必要があることが浮き彫りになりました。アピールの中にあった「あらゆる人の命を守る」という言葉が、この日の行動に参加されたすべての人に共通する想いではないかと感じました。
2016年3月18日金曜日
4・23トーク&討論:草の根右翼は国境を越えて世界にはびこる!?
ヨーロッパ、アメリカで排外主義の嵐が吹き荒れています。「テロ」と「難民」をめぐって、大統領候補や政党の党首らが、レイシスト的暴言を吐き、大衆が喝采するという草の根右翼運動が拡がっているあり様は、日本の政治状況とも無縁ではありません。
改憲と戦争のできる国に邁進する安倍政権は、安倍本人はもとより、主要閣僚や自民党議員の多くが、排外主義右翼集団・日本会議のメンバーです。信じがたき暴言(本音)をほざく高市、丸川、麻生らは、いずれも日本会議であり、次期総理の座を狙う?稲田朋美はもともと極右の活動家であり、今や草の根右翼の支援抜きでは自民党は成り立たないとも言えるでしょう。
私たちは、差別と排外主義に抗する社会的包囲網をつくるために様々な取り組み、連帯・共闘を続けてきました。今回の集会は、「テロとの戦争」の一方で進む難民排斥や治安管理の強化、差別・排外主義の草の根的拡がりを見据えながら、その分析と洞察、対抗運動の展望を探るものです。
フランスの状況にも詳しい鵜飼哲さんには、「テロ」と「非常事態」によって何が変わったのか、私たちの側は、どのような国境を越えた連帯をつくりだせるのか。反靖国の取り組みをはじめ一貫して天皇制を問うてきた辻子実さんには、日本会議が政界から民間まで根付いた構図から何を読み取り、いかに対決していくのか、を語っていただく予定です。
連絡会は、こうした催しを通じて出会いと討論・交流の場を模索してきました。この情勢に危機感を覚えながら、いかに行動するのかを考えている多くの皆さんの参加をお待ちしています。
2015年12月26日土曜日
「差別・排外主義にNO! 11・21講演集会」報告
去る11月21日、講師に崔真碩(チェジンソク)さんを招き、「ヘイトスピーチを越えて」をテーマとした「差別・排外主義にNO! 11・21講演集会」を東京で開きました。
崔さんは韓国生まれの東京育ち。現在は、広島大学院准教授を務めながら演劇活動も行っておらます。昨年、ドキュメンタリーをテーマとした授業で日本軍「慰安婦」を扱った映画「終わらない戦争」を題材とした際に、不満を覚えた学生が講師本人にでも大学にでもなく産経新聞に投稿した結果、激しいバッシングを受けられました。当時から現在までの経過やその時々の思い等について語っていただき、質疑を通して更にヘイトスピーチへの取り組みの重要性を認識できた場になったと思います。
まず司会から、当会の自己紹介を行い、次のような現状認識を示しました。
ここ数年の間に、新大久保を舞台とした激しいヘイトデモはなくなりマスコミ報道も減った。しかし、ヘイト自体が沈静化したわけではない。ヘイトデモも場所を変えて行われており、先日は同日に東京・神奈川の3箇所で強行された。もはやヘイトを生み出す土壌が日本に一定程度根付いてしまったと認識しなければならない。制度的にも在日差別が残存している。更に、現在は安倍を筆頭としたヘイト勢力が権力を握っている。何かの契機で大規模なヘイトが勃興する状況にあるという危機感を抱いて取り組む必要がある。
崔さんは、バッシングを受けた側がそれをどう乗り越えるか、相手と社会にどう向き合うのか、について話したいと始められました。まず、今回の件を「産経事件」と名付けて当事者としてこれまでの1年半を振り返るお話から始められました。
05年に初めて教壇に立ったときから、腹をくくって慰安婦問題を題材としてきた。複数の講師によるオムニバス形式のドキュメンタリーに関する授業も今回で3年目。学生が産経新聞に実名で投稿したことにも驚いたが、講師も学校も飛び越えてマスコミに向かうという事例は教育史上前代未聞ではないか。その後に本人とはまだ短時間しか話せていないが、「ネット右翼」などとひとくくりにせず一人の人間として向き合っていきたい。記事の掲載については前日に担当記者から電話で通告があったが、まさか一面掲載とは思っておらず目にして驚いた。記者に報道によって起こる波及の重大性について検討するよう求めたところ、自分のコメントを正確に載せることにはなったが、それ以上の収拾は記者にもできなくなっていたようだった。組合もないスクープに飢えたチープな新聞社の中で身を立てるために自分を壊しながら仕事をしているという印象を、記者には持った。まだ実際には会えてはいないが、やはり「ネット右翼」「産経新聞」とくくらずに個人として向き合っていきたい。学生も記者も産経新聞も、所詮は権力に鉄砲玉として利用されている存在。小さな事件を大きく拡大する役割。今回の産経新聞報道は、構造的に朝日新聞バッシングのダシでしかない。しかし、この件について多くの人が沈黙を保ってしまった。この声を上げられない状況が恐い。大学は声明を出さなかった。財源を握る文科省の顔色を伺い、事なかれ主義を貫き沈黙した。組合さえ動かなかった。政治に関与すると分裂するという口実で、もはや賃金の話しかできない状態。但し、自分にとっては見殺しにされたということ。しかし、それを主張すると職場が分断されてしまう。これは権力の思う壺であり、避けなければならない。幸いまだ授業内容への干渉ができる状況には至っていない。もとより大きな数ではなかったが、今回の件以降に受講する学生の数は増えた。興味を持って臨む学生が相手なので授業も順調。ねばり強く闘っていく授業を続けて、職場関係も作り直していきたい。そもそもヘイト勢力は一握りでしかなく、むしろ沈黙する8割の大衆が怖い。この沈黙するマジョリティーに届く言葉を模索したい。手段としては非暴力を貫くが、これは暴力はいけませんなどという甘ったれた態度ではない。やってしまうと自分の魂が失われるように思える。怒りを失わずにやり返し続ける根拠にもなる。(この点に関しては、交流会で2名から異なる持論が提出された)。そもそも関東大震災での虐殺から100年間、日本の社会の中にこの空気が続いている。後ろから刺される恐怖・暴力の予感をずっと抱いてきて、半分死んだ感覚が続いてきた。そのため、ヘイトスピーチが出てきたときも冷静に受け止められたし、産経事件でも動揺はせずにすんだ。こういう背景を持った非暴力ということ。
次に社会全体を俯瞰して、普遍的立場からヘイト問題を捉える話に移られました。
ヘイトが発生する根拠として、日本の経済的な落ち込みによる「不安」がある。中国・韓国の伸張が輪をかけた。そのためのはけ口としてヘイトがある。「不安」と向き合えない部分がこれに乗る。アベノミクスもオリンピックも「一億総活躍(=一億玉砕)」も皆そのため。私が法務局から受けてきたこれまでの屈辱を、今日本人が受けている。劣悪な労働環境・国家ぐるみの年金詐欺・経済的徴兵制、まさに「在日日本人」。更には原発事故が決定的だった。東京の水は福島より汚染されているし、フクイチも再臨界状態。福島も首都圏ももうどうにもならない状態。戦争や侵略への抵抗は収束可能だが、放射能汚染はどうにもならない。権力者は「国体(天皇制)」護持のために、対策を取らない=汚染をなかったことにする道を選択した。これまでとはレベルの違う「不安」であり、はけ口の必要性は更に高まった。しかし、ソ連がチェルノブイリの5年後に崩壊したことを想起する必要がある。生き抜くためには「非国民」になるしかない。「不安」を冷静に受け入れ、分析して言葉にしていく必要がある。国家を抜きに、現実と向き合ってやり直す準備としての言葉。そうして、どうしようもないヘイトの連中とも回路を開く必要がある。国家暴力・圧力は共に受けている。それを言葉にして、今を乗り越えるきっかけにしなければならない。また、運命共同体である東アジアに日本を開いていく必要がある。国家や排外主義に絡め取られる「国民」にとどまってはならない。そこからはじかれる多数の人々も同じ「不安」を抱えていることに思いを馳せなければならない。
この後、演劇人として、この日に話された思いを込めた詩を朗読された。最後にふたたび、3・11以降のやり直しの必要性と、「国民」を脱して隣人を内なる他者として内包する個人として立つ視点の重要性を確認された。
更に休憩を挟んで質問に答える形で幾つもの補足がなされた。大学よりも公立中高の教員が置かれた過酷な状況=授業で政治に触れることができず萎縮・疲弊が進んでいる、天皇主義を超えようとする教員は特に潰されるし、かつて先鋭的であった広島でさえ同様の状況。歴史教育を受けていないが故に学生が歴史を継承していない現実、安倍登場から20年で何も報道されない社会になってしまったこと、この中でこれ以上権力に教育を殺させてはならないし未来への責任を取る道を探らなければならない。公立学校で通名を名乗っていた自分の過去を振り返り、周辺へと追いやられるが故に国家に向かうという自己を欺く過剰適応であったし、そのような自分を言葉で解体して生き直すありかたが今後も必要である。だまされることによって得られる平穏さ、それを進める形で上に頭を下げて弱い物を叩く、それにも通じるものがあるだろう。現在の日本の惨状は何よりも戦争責任を取らずに存続した天皇制に根拠を置いている、という形で全体を締められました。
この後で参加者から、毎週金曜日に行われている朝鮮高校無償化排除への抗議行動への協力呼びかけ等が訴えられ、集会を終えました。
この日の参加者は65名。その後に同じ場所で持たれた交流会には30名弱の参加者を得ました。
2015年11月9日月曜日
差別・排外主義にNO!11.21講演集会
「朝鮮人をたたき殺せ!」「在日特権を許すな!」という、聞くに堪えないヘイトスピーチ(差別扇動言動)をまき散らす在特会に見られる差別・排外主義勢力の動きは、一時期ほどではなくても依然として衰えていません。むしろ、安倍政権の長期化の中で、ますます日本社会に浸透、定着化してきています。
「安倍応援団」を自称する国会議員、文化人、ライターなどが差別言辞を繰り返していることからもそれは明らかです。
昨年5月、広島大学準教授の崔真碩(チェ・ジンソク)さんが、激しい差別的中傷、バッシングを受けました。「演劇と映画」の授業の中で、日本軍慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリー映画『終わりなき戦争』を取り上げたところ、受講していた学生が「反日教育だ」と『産経新聞』に投稿したのがきっかけです。しかし崔さんはそうしたいわれなき攻撃にひるむことなく、学生たちの偏狭さの背後にある日本社会のあり方を告発し続けています。「ウシロカラササレル」感覚を抱きながらも、あえて「朝鮮人」を前面に出して日本人・日本社会にメッセージを発し続けている崔さんのお話を聞きながら、差別・排外主義をいかに克服していくのか、共に考えませんか?
【崔真碩さんのプロフィール】
1973年韓国生まれ、東京育ち。現在、広島大学大学院准教授。テント芝居「野戦之月海筆子」の役者でもある。著書 『朝鮮人はあなたに呼びかけている―ヘイトスピーチを越えて』(彩流社)。
主な出演作「蛻てんでんこ」。
2015年10月15日木曜日
許すな!差別・排外主義 10・18ACTION の報告
私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」は、毎年秋に新宿・大久保地域で、差別・排外主義に反対するデモ行進をしています。今年も、10月18日に100名弱で歩きました。新宿駅の西口ロータリー・南口と新宿三丁目交差点、そして歌舞伎町地区をかすめてコリアンタウンである職安通りです。
2011年に始まった取り組みも、今年で5回目になりました。「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!」をメインスローガンに掲げるこのデモは、新宿・大久保の両地域で商業を営み、あるいは生活するさまざまな国籍の在日外国人の人たちに連帯をアピールするものであるとともに、新宿の街を行きかう人々に、排外主義 (レイシズム)との闘いに立ち上がることを呼びかけるものです。
2012年から2013年は、コリアンタウンである新大久保商店街が、毎週のように排外デモの脅威にさらされました。カウンターと呼ばれる現場での抗議行動や反対世論の盛り上がりにより、今はこのデモは行なわれなくなっています。これは闘いの一定の勝利ではありますが、私たちはこの地域でのデモ行進を続けています。
なぜなら、街頭でのヘイトは下火になったとしても、極右安倍政権の下で政府・国家レベルのレイシズムが強くなっていると考えるからです。第2次安倍政権が発足してから垂れ流されている右派政治家やそれに連なる文化人の暴言の数々は、ヘイトスピーチそのものです。私たちは、「ヘイトとの対抗というラインを越えて、(ヘイトを生みだす)歴史的土壌と対抗していく」(10.18当日の基調提起)という認識に立って取り組んでいます。その認識を共有してレイシズムとの対抗を共同で担える仲間を作りたい、そしてその仲間と共に歴史の審判に耐えうる連帯共闘を作っていきたいというのが、私達の想いです。この日のデモをそんな趣旨で企画しました。
当日はその趣旨に沿って、「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」「反天皇制運動連絡会」「『国連・人権勧告の実現を!』実行委員会」「辺野古リレー」「APFS労働組合」の5つの団体から連帯の挨拶をいただきました。さらに、ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判の支援に関わっている方からのメッセージもいただきました。
皆さんが語られる内容からは、この国の政治そのものが差別・排外主義にまみれていること、それが社会のあり方に影響をおよぼしていることが、よく理解できました。そのそれぞれの発言・メッセージの趣旨をご紹介します。
☆「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会
2012年に発足した第2次安倍政権の初仕事が、高校無償化から朝鮮学校を排除するために、文部科学省の省令を改悪することだった。理由は「拉致問題の解決に進展がない中で朝鮮学校を無償化の対象にすることは、北朝鮮に誤った信号を送ることになる」という、極めて政治的なものであった。文部科学省のホームページには、この趣旨の説明がいまだに掲載され続けている。
しかし、全国5ヵ所で起こされた裁判において、国を追い詰めている。
☆反天皇制運動連絡会
SEALDs(シールズ)の中心メンバーの父親が、天皇制に反対しているということで週刊誌でバッシングを受けている。天皇制に反対することがまるで罪であるかのように扱われてしまう現実がある。
しかし、天皇を媒介に統合されるのとは違った自律したさまざまな民衆運動が広がっている。今年の8.15反靖国デモでは、妨害を企てる右翼で埋まった歩道上で「安倍政権やめろ」というプラカードを掲げた人がいて、デモに声援を送っていた。
☆「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会
国連から日本政府に対して100以上の是正勧告が出されているにもかかわらず、日本政府は「従う義務はない」として無視している。しかし、国際条約は憲法の次に重視しなければいけないもの。国際的には、安倍政権は極右政権と認識されている。
勧告を受けているさまざまな人権課題に個別に取り組んでいるそれぞれの運動が一緒に動くことでこの国のあり方を変えられると考えて運動を進めている。
☆辺野古リレー
全国の0.6%の面積の沖縄に74%の米軍基地が集中しており、そこにさらに新基地を作ろうとしている。沖縄差別である。ゲート前のテントに、日の丸を掲げた右翼が襲撃してきている。国家は差別・排外主義を原動力として侵略戦争を行なっていくが、沖縄はその体制を作るための最前線になっている。絶対に阻止しなければならない。多くの人がゲート前に駆けつけてきてくれている。
☆APFS労働組合
2014年、5,000人の難民申請があったが、そのうち難民として認定されたのは、わずかに11人である。政治難民が多くいるのに、「難民鎖国」といってもいい状況。一方で、シリア難民の写真を使った排外主義的なイラストが広がった。
社会保険や雇用保険にも入れてもらえず、残業代も払われない。毎日の生活で差別されて小さくなって暮らしている人が非常に多い。使い捨ての労働力として酷使されている。国籍・文化・言語の違いを越えて、すべての人が平等に安心して生活できるようにしたい。
☆ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判の支援に関わっている方(メッセージ代読)
2012年に、安世鴻さんの「慰安婦」写真展が、ネット右翼の妨害を恐れていったん中止になった。ヘイトスピーチがいろいろな所で展開されている中で、日本の負の歴史に向きあう表現の場を守ってくれたことが、支えになっている。
脅迫を受けた時に、恐れてやらないのではなく、冷静に対処するように具体的な方策を考えることが、力になる。
皆さんの挨拶からは、国連からの勧告を無視し続け(すなわち国際スタンダードに背を向け続け)、排外主義政策を取り続け、そして戦争政策を強引に押し進める政府の姿勢がよくわかります。デモの最中の警察は、例年にもまして過剰警備の態勢を敷いてきました。さらには、差別暴言を吐いた警官もいます。これらは、安倍政権の下での「国家のヘイト化」の一つの表れかもしれません。
一方、今年のデモで特筆すべきことは、沿道ビラの受け取りの良さです。用意したビラがほとんど残りませんでした。今までの5年間で最高の受け取りでした。
歌舞伎町をかすめる新宿区役所通りや職安通りは、在日当事者が多いこともあって、いつも受け取りがいいわけです。今回はこれに加えて、たとえば新宿三丁目交差点のような当事者が多いわけではない地区での受け取りのよさを感じました。
また、小滝橋通りに近いあるビルの1階部分、そのフロアは一つの会社で占めているのですが、外に出ていたその会社の制服姿の労働者(すなわち、みんな仕事中ということ)のほぼ全員がビラを受け取りました。ビラを読んだ労働者が同僚と「当然だよな」と会話を交わしているのが聞こえてきました。
「ヘイトを許さない!」という声が、街往く人々にとって抵抗感なく受け止められるようになったことの表れでしょう。さらには、政治が危険な方向に向かっていることへの危機感が、広く浸透していることの表れともいえるでしょう。
また、1週間前の12日には、大久保通り・職安通り沿道の商店に、デモ行進をすることを知らせする予告ビラを配布しました。これも毎年やっている恒例の行動です。いつものように反応は上々でした。
反応がダイレクトに返ってくるデモは、元気がでます。闘いは街頭で!
2015年9月15日火曜日
6.27差別・排外主義にNO! 番外討論会報告
今、差別・排外主義とどう闘うのか。前回の第4回の討論集会では、会の内部討論のまとめである『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』を元に、パネリストの方々からご意見を頂き、会場の参加者も交えて議論を行いました。 今回は番外編として、多くの方々と引き続き自由に議論をし、そこで出された意見や課題を共有して、今後の取組みに生かしていく事を目的に討論会を持ちました。
連絡会からは、はじめに3つの論点を提起しています。
1つ目は「ヘイトを取り巻く状況」です。現在、〈在特会〉の「スケープゴート」化により政府・世論・国民が極右化しています。ヘイトスピーチが記号化されその実態が問われない中、この状況を変えるには、当事者の被害と向き合い連帯し、欺瞞の戦後「民主主義」(土壌)を根底から変えて、その筆頭である安倍政権を終わらせる事です。
2つ目は「カウンター」についてです。「カウンター」(総称)の戦術転換(発展)として行政・議会・警察等への働き掛けや街頭以外への拡大がみられます。その中で「国家権力の強権化の問題性」が絡むものは「慎重に吟味」して対応する必要があります。
3つ目は「法的規制」です。参議院に『人種差別撤廃施策推進法案』が提出されました。大阪市では『ヘイトスピーチへの対処に関する条例案』が提出されたものの継続審議となりました。法案の成立には、「立法化大衆運動」による世論形成が必要で、当事者主体の議論のもとに国家権力強化の問題性を踏まえつつ検討していく事が望まれます。
そして鵜飼哲さん(一橋大学教員)には、フランスのレイシズムとそれに対する運動について話をして頂きました。フランスは過去のナチズムや植民地主義の歴史から、レイシズムに関して表現の自由を優位に考える国ではないという事、公権力が様々なタイプのデモを禁止している為(抗告は可能)、運用の仕方については非常に多くの批判があるが、法律そのものがいらないという人は誰もいないというお話がありました。日本の『人種差別撤廃施策基本法案』で設置される「人種等差別防止政策審議会」は、フランスの『人種差別禁止法』での「国立人権諮問委員会 (CNCDH)」のように完全な独立性を求めていくべきであるという指摘もされました。
審議会の独立性に関して、障害を持つ当事者の方からも、『(改正)障害者基本法』で定められた「障害者政策委員会」での政府による当事者排除、委員会の見解を無視している現状(精神病院の病棟を居住系施設に転換)の説明があり、法案で設置される審議会は、政府から独立しなければいけないとの発言がありました。
『ヘイト・スピーチ法 研究序説』(三一書房)を出版された前田朗さん(東京造形大教授)は、まず国家がヘイト団体に協力するのを許してはいけない、次にしかし同時に国家権力を強化してはならないという議論の順番ではないかと話されました。
他の方からは、在日朝鮮人(コリアン)への被害調査で、当事者の生きる意味が失われているという事象があり、ヘイトクライムは犯罪なんだという規範がある事でヘイトはダメだと言える状況が必要という意見もありました。
女性からの発言で、『男女雇用機会均等法』も賛否両論あり作られたが、平均賃金自体が全然上がらないし、女性差別はいけない事になったがなくならないといいうお話がありました。そして朝鮮学校襲撃事件について、裁判を闘う上で差?はいけないという法律が欲しいという切実な声があるのを受け止めていく必要があり、法律の問題がでているが力関係の問題で、運動の中でどうしていくかという事だと思うと話されていました。
第1、第2の論点である現在の状況とカウンターに関連する意見では、カウンターや学生らによる戦争法案への反対運動が持つナショナリズムに対する批判もありました。議論するには、客観的に正確に事実関係等の情報の共有化がないとなかなか難しい、対案を出して説得していく他、実践や様々な取り組みの中で信頼を得ていく等の話がされました。関連して、「国益」を求めて行動する世界を根底から引っくり返さないとなくならない等の意見も出されました。
カウンターとヘイト側を一番コントロールしているのは実は警察で、警察の力を宛てにする傾向が出てきているので、安易に国家権力のコントロールを招いてしまうという運動側の弱さへの指摘もありました。
最後に鵜飼さんから、日本国家があまりに突出した方向にいき、 これは全体主義に他ならないもので、憲法の問題ももはや改憲派と護憲派の対立ですらなく、今日議論された、ここ数年ヘイトスピーチで起きている問題とよく似ているという話をされました。法制定の問題もあるが、最終的には我々の力を高めていき、我々自身の闘いとして貫徹できるかという事に尽きると締めくくられました。
討論会全体を通して、法的規制に関する意見が多くみられました。
当日に交わされた様々な意見を、今後の方向性や行動する上での基盤に組み込んで、ヘイトスピーチ、差別・排外主義との闘いを深化させていきたいと思います。
2015年5月15日金曜日
6.27差別・排外主義にNO! 番外討論会
全国各地で、また街頭・地域・メディア・議会の各レベルで、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムとの闘いが取り組まれています。個人や集住地域を直接狙う卑劣な嫌がらせ、あるいはネットや書籍を通じて垂れ流されるスピーチによって、在日コリアンを始めとする在日外国人の生活とアイデンティティが脅かされている事態。これを許すことはできません。私達「差別・排外主義に反対する連絡会」も、微力ではありますが、これらレイシズムとの闘いの一翼を担うために活動してきました。
この国でレイシズムを生み出している土壌は何なのか、カウンターを始めとする今までの闘いは何を切り開いてきたのか、それを発展させるために何が必要か、そしてヘイトの法的規制をどう考えるか等々、諸問題を私達は内部で論議を重ねました。そして、その成果を『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』という文書にまとめて公表(※)するとともに、3月7日に討論集会(「3.7差別・排外主義にNO!第4回討論集会」)を開催しました。
(※当会発行『Milestone-里程標№3』所収。当会のブログからご覧いただけます)
今回、この『提案』に対して多くの方からご意見・ご批判をいただきたいと思い、第4回討論集会に引き続いて討論会をもつことにしました。
私たちは、レイシズムの圧力にさらされる在日当事者の立場に立つことを一番の基本に据えた上で、レイシズムと闘う多くの人とともに今後の運動を進めていきたいと考えています。そのためにも、この『提案』をいろいろな方々の声で発展させたいと思っています。様々な方からのご意見・ご批判を募集中です!ぜひこの討論会にご参加下さい。
日時:6月27日(土) 開場17:45 開会18:00
場所:大久保地域センター 会議室A
新宿区大久保2~12~7 TEL. 03(3209)3961
JR新大久保駅徒歩8分 地下鉄副都心線・大江戸線東新宿駅徒歩8分
→こちら
主催:差別・排外主義に反対する連絡会
東京都港区新橋2-8-16石田ビル5F 救援連絡センター気付
開かれた討論に向けて――私たちからの提案
(1)「連絡会」のこれまでの共有点と私たちを取り巻く情勢
私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下「連絡会」)は、次の三点の方針に基づいた防衛活動を、これまで主軸として活動してきました。
第一に、大衆運動としての社会的包囲網を形成することによって<在特会>(注※)を封じ込めること。第二に、<在特会>を生み出した日本社会の歴史的土壌を問題とし変革するために社会的包囲網を形成すること。そして、第三に当事者を尊重すること、すなわち、当事者が置かれている立場を理解し、運動を学び、当事者と共に闘う立場に立つこと。
※<在特会>――本文では『在日特権を許さない市民の会』のみでなく、街頭で差別・排外主義言動を行い、それらをインターネット等で拡散させる団体・個人の総称とします。
その一方、2013年の新大久保での毎週に及ぶヘイトデモを受けて、現場カウンター行動がネットを中心に呼び掛けられ、反ヘイト行動の参加者は激増しました。そして、それと呼応して、メディアや出版物を中心にヘイトデモやヘイトスピーチへの社会的な関心が広がりました。このようにヘイトが政治問題化・社会問題化していく中で、2014年には国連人権委員会からの勧告が出され、諸外国から日本政府に対する批判的圧力が強まり、国内においても法的な対応が検討されてきています。
しかし他方では、第二次安倍政権が発足し、その差別・排外主義的なナショナリズム政策が突出していく中、ネットやメディア、またそれにより形成された世論のもとで、「つくる会教科書」採択や尖閣諸島などをめぐる領土問題、靖国参拝など、差別・排外主義とナショナリズムが扇動され広がっていきました。
(2)開かれた討論の必要性
そのようなめまぐるしい情勢の中で、私たち「連絡会」は、反差別・反排外主義・反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動を前進させるために、『Milestone』読者の皆さんに、広く討論を呼び掛けたいと考えています。
私たちは、これまでの数度に亘る内部討論会の過程において、私たちの中での一定の共有点と相違点を確認し、課題と論点を明確化させようと努力してきました。今回、その課題と論点を、未だ端緒に就いたばかりですが、提示することにします。「議論のための議論」に陥ることなく、実践による検証と総括、それに基づく議論の深化をこそ、と考えています。
【2】 日本社会の土壌の問題
(1)土壌の歴史
日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配。その過程で起きた虐殺、日本軍「慰安婦」、強制連行、強制労働、同化政策。それらを強行した天皇制のもとにあって、日本人は自ら「天皇の赤子」として身を置き、抑圧民族として存在しました。日本は戦争に敗れ、新憲法のもと戦後「民主主義」体制がスタートします。
しかしそれは、天皇制や国家官僚の温存維持、侵略戦争・植民地支配についての自己批判(その責任)の放棄――それは、国家と国民の共犯関係であるとも言えます――から生じる、歴史認識に対する故意の忘却に基づく、欺瞞に満ちた体制でした。そのような体制のもと、同化と追放をコインの両面とした、指紋押捺制度に代表される「在日は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という発想に規定された入管体制が存続し、在日は戦後「民主主義」の枠外へと置かれ続ける、そのような差別的な制度が維持されてきました。
戦前の帝国主義・植民地主義を継承した差別・排外主義が、戦後体制として現在に至るまで継続されてきたのです。それは日本人が「抑圧民族であり続けている」ということにほかなりません。
(2)土壌の現在
1990年代後半に、「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される「右派市民運動」が胎動し、「慰安婦」問題を始めとする「歴史修正主義」を展開し、小林よしのりがそれを大衆化しました。1990年代における「文化人とマンガ」の結合は、近年における「<在特会>とネット」の結合と、相似形をなしています。石原慎太郎元都知事の数多くの差別発言と、それを容認する社会のあり様、そしてその後の歯止めなき社会全体の差別・排外的右傾化は、戦後民主主義体制の欺瞞性の本性が露呈し、具現化していく過程でもありました。
その大きな表れが、少数派や「異端」者を攻撃する「バッシング」の激化です。そのターゲットは<在特会>がターゲットとしてきた人々・事柄と通底しています。小泉政権下での新自由主義・グローバリズムとそれに伴う格差社会が、とりわけ青年層の閉塞感を引き起こし、結果、その閉塞感は「鬱憤晴らし」として「自分よりも下」であると見なした人々へと向けられていきます。新自由主義・グローバリズムと国家の強権化や差別・排外主義化は一体です。
つまり、グローバル資本主義体制のもとでの中国・韓国の経済的(あるいは中国においては軍事的)台頭に対する「国民」の不安が、差別・排外主義化と国家の強権化を要求し、結果、第二次安倍政権の登場を可能にしました。そうした過程において、日本社会は「慰安婦」、強制労働、戦後補償といった事柄をめぐる当事者の権利主張・異議申立をさえも「中国・韓国の台頭」と認識します。そしてテクノロジーとしてのネットが発展し、「ネット右翼」といった現象のもと大衆の心性に隠されていた差別・排外主義の意識が一挙に可視化したとき――「フジテレビ抗議デモ」など――その差別・排外主義が街頭へとなだれを打って登場していくことは、ことさらに新たな現象と言えるようなことではないのです。
(3)土壌の変革と<現象>を撃つ相互性
歴史的過程に規定された現在の状況が<在特会>現象を生み出し、ヘイトスピーチを撒き散らすその土壌としてあるとき、そのような土壌を問題とし、その歴史的根拠と要因をえぐり出し土壌を変革すること。それはすなわち日本社会総体の変革を志向するということです。土壌が変革されなければ、<在特会>現象を封じ込めることはできない、しかし一方で、<在特会>現象を封じ込めることなくして、土壌を変革することもできません。いわば、両者は相互的な関係にあります。
「土壌」が存在する以上、<在特会>に続く新たな「現象」が出現する可能性は大いにあります。田母神グループ、「日本会議」など、極右勢力の台頭は、ヨーロッパ諸国ではすでに現実化しています。だからこそ、私たちは、「モグラ叩き」には陥らないように、<在特会>現象を生み出した、この日本社会の土壌を変革する、その観点を維持しなければなりません。
当事者の怒りを土台とした、その怒りに共鳴する広範な日本人民衆の立ち上がりこそが、差別・排外主義に反対する個別具体的な課題を、そしてその運動を、前進させる鍵であると考えます。
【3】 いかに闘うか
(1)ネットワークと社会的包囲網
私たちは、<在特会>現象と闘う多種多様な団体・グループ・個人のネットワークが形成されることによる社会的包囲網の構築を目指しています。多種多様であるということは、各々の専念する事柄も、観点も、アプローチも、得意分野も、異なるということです。私たちとは別のあり方で<在特会>現象と闘う人々に対して、建設的な相互「批判」は行うが「否定」はしない、彼我の相違を前提として、相乗効果を生み出す関係性としてのネットワークの形成を志向しています。そのようなネットワークを創るには、その過程における相互の交流・討論が何よりも重要であると考えています。
相互に学び、課題を整理し、実践し検証する、そのようなネットワーク化の過程に寄与することを目的として、私たちは、連続的に討論集会を開催し、この『Milestone』を定期刊行しています。多種多様な闘い方・戦術には必然性と必要性があります。そうした様々な領域に亘る運動が、現在の反ヘイトの闘いにおいて必要とされている、と考えています。
(2)「連絡会」の活動
では、「連絡会」は、どのような活動を担うべきなのでしょうか。
①防衛活動
「連絡会」は当初より、防衛活動をその重点的な活動として位置付けてきました。「慰安婦」、強制連行、関東大震災の際の朝鮮人虐殺、高校無償化からの朝鮮学校排除など、こうした運動課題は、歴史に根差した現在進行形の課題としてあり、同時に、日本社会の土壌変革の課題としてあります。そして、そのような個別的な運動課題は、<在特会>の当初からの攻撃のターゲットとしてありました。だからこそ、そのような集会・デモ等の貫徹のための防衛任務を担うことを、私たちは自身の活動の主軸として位置付けてきました。
防衛活動においては、当事者との信頼関係の構築が前提です。歴史に学び、現実の闘いを共有することを通して、当事者が置かれている立場を理解し、当事者の立場を尊重する姿勢が必要です。主催当事者と共同の防衛活動を通して、当事者との信頼関係の構築とそれを軸とした社会的包囲網を形成していくこと。そのような方向性のもとに、防衛活動を担ってきました。
②カウンター
2013年の東京・新大久保でのヘイトデモ、対するカウンター行動。「連絡会」は、<在特会>のデモに対しては、その暴走を阻止し、当事者である地域住民を防衛し連帯を表明するという観点に基づいて、防衛活動のひとつの形態として、カウンター行動の際の地域住民への(ヘイトデモ通過の周知とそれに対する私たちの見解・認識を記した)ビラの配布を行いました。
「連絡会」もまた、ヘイトクライムの現場での対峙形態を「抑止・監視活動を超えた直接対峙」として位置付け実践していく必要性について議論してきました。
(この文章では「<在特会>デモに対する、ネットで不特定多数に呼び掛けたうえでの直接抗議行動」をカウンター行動と指しています。)
しかし、「連絡会」は、<在特会>のデモ参加者の暴走である「お散歩」に対しては、「お散歩」という暴力形態を阻止する実践的方針を立てきることができず、その評価と方針化・実践化の面で「立ち遅れた」と言わざるをえません。その点で、「お散歩」の現場において実力で対峙し、差別的・暴力的活動を阻止した「カウンター行動」を評価するものです。
私たちは、上記の直接抗議行動としてのカウンター行動が、<在特会>の「お散歩」を阻止し、新大久保でのヘイトデモを継続不可能な状況へと追い込んだこと、またそのための多数の人々の行動参加を実現したこと、そして、その過程において、ヘイトスピーチやヘイトクライムの問題を社会化・政治化・国際化させる原動力となった点において、これを高く評価しています。
しかし、同時にカウンター行動の中には、次のような様々な問題が内包されているとも考えています。
(3)カウンター行動の課題
日本社会の歴史的な土壌に規定された現在の「現象」とは、<在特会>現象をのみ指すものではありません。私たちは、現在のカウンター行動に内在するひとつひとつの具体的なあり様を、この日本社会の歴史的な土壌に規定された現象であるとして、その淵源にある土壌を変革する観点から検証していきたいと考えています。したがって、以下の提起は、カウンター行動それ自体を「否定」するものではなく、カウンター行動の前進と発展を企図してされているものであることを、改めて強調しておきたいと思います。
①差別言辞・行為
<在特会>に対して、中指を立てて抗議する行為、また、性差別言辞や「障害者」差別言辞をもって抗議する行為がカウンター行動において見られてきました。直接ターゲットとなっている当事者はもとより、カウンター行動の中にも女性や「障害者」の仲間は多く存在します。その当事者にとっては、カウンター行動の中での差別言辞・行為によって、<在特会>らのヘイトスピーチと同時に、カウンター行動を取り組む仲間からのヘイトスピーチにもさらされていることになるわけです。
「慰安婦」問題は性差別の極致というよりほかなく、そのように歴史的事象が総括されないまま継続し再生産されている日本社会において、性差別や「障害者」差別は歴史的過程に規定された土壌として存在します。
②『日本の恥』という表現
『(レイシスト在特会は)日本の恥』といった内容のプラカードがカウンター行動において散見されます。しかし、そのような主張は「レイシズムと無縁な民主主義vsレイシスト在特会」という誤った問題設定を導くものではないでしょうか。そうした主張においては、レイシズムは<在特会>だけの問題となり、私たち「日本人」が抱えている戦後「民主主義」体制に歴史的な土壌として存在するレイシズムは不問に付されてしまいます。
③『仲良くしようぜ』のスローガン
『仲良くしようぜ』というスローガンが、カウンター行動において散見されました。最初にそのスローガンを掲げた在日当事者の意図を私たちは改めて捉え返す必要があると思っています。歴史的に「抑圧民族」であった日本人が、それを捉え返すことなくこの言葉を使うとき、「日本人は抑圧民族であり、在日当事者は被抑圧民族である」――この事実を不問とすることになります。そのようなスローガンの使用には、私たちは賛同することができません。抑圧民族である日本人は「足を踏んでいる者」です。その足を自らどかして初めて「仲良くしようぜ」と言える、そう「足を踏まれている者」に対して呼び掛けることができる、そうした可能性を模索することができるのではないでしょうか。
『仲良くしようぜ』と在日当事者に対して呼び掛ける前に、抑圧民族である日本人には、なさなければならないことが山積しているのではないでしょうか。それこそが、抑圧民族である私たち日本人の負うべき責任なのではないかと考えています。
④天皇主義右翼
また、カウンター行動の隊列の中に存在する天皇主義右翼は、反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動においては社会的包囲網の外部に位置する、と私たちは考えています。このことは、差別に通じる(問題が内在すると私たちが考える)表現がカウンター行動において見られるという①の問題とは位相が異なる問題です。「抑圧者―被抑圧者」という関係の中にあるという現実を、常に問われ続けながら、自らが捉え返していく中で認識していかなければならない。そうした課題がカウンター行動の参加者にも私たち「連絡会」にも内在する、ということです。
私たちは、天皇制を支持し、日の丸を是とし、靖国神社を肯定する、そのような右翼との「共存」は成立しないと考えています。天皇主義右翼は、多種多様なネットワークの中における「相違点」を意味するものではなく、ネットワークにおいて「敵の敵は味方」のような主張のもとに容認されうるものでもありません。
(4) 私たちの議論――論点提起
私たちが議論を重ねる中で出されたいくつかの意見を紹介します。これを私たちからの論点提起として、開かれた議論へと進めていきたいと考えています。
・カウンター行動は、反<在特会>運動における多様な戦術のひとつであり、すべてではない。社会的包囲網形成のためのネットワークの中で、「連絡会」の役割が何であるかを方針化することが先決であり、そのうえでカウンター行動を方針化するかどうかが導き出される。
・カウンター行動は、レイシストに対する抗議の意思を広く可視化させた。レイシズムを容認するのかしないのかを鋭く社会に問い掛けることを実現した。そして、レイシズム・ヘイトスピーチに対する反対の意思を具体的に直接表現できる場を街頭において創り出し、結果、カウンター行動参加者も激増した。眼前で繰り広げられている不正義極まりない状況があるとき、そのことに対して否!と声を上げ、阻止する行動があってこそ、社会的包囲網を形成することができる。
・地域住民すなわち当事者の声を尊重するべきである。「当事者不在の衝突」に陥らないように地域住民を軸とした陣形を作っていく、その方向性こそ重要である。「連絡会」は、そのサポート役を担うべきである。
・繰り返されるヘイトデモにより地域住民すなわち当事者が孤立無援の状態にあった中、日本人によるカウンター行動の登場は、一定の地域住民の賛同を得た。そのことに対する代行主義との批判は該当しない。
・カウンター行動において、「警察権力・機動隊を積極的に導入し、<在特会>を制圧させる」という方針を取ったということについて、「連絡会」の警察権力に対する姿勢や評価とは違いがある。警察権力の弾圧はカウンター側にも向けられており、介入阻止・対峙の姿勢が求められる。
・警察権力による介入・制圧によって結果的に<在特会>を阻止できた、という評価もあったが、カウンターの広がりやさまざまな創意工夫を持った取り組み、メディア・知識人・国会内外の社会的包囲網による力を見るべき。
・地域住民の陣形形成をサポートする。いわゆる左派潮流に対してカウンター行動への参加を訴える。一方で、カウンター行動参加者に対して「土壌」変革の重要性を内在的な批判として訴える。そのようにしてカウンター行動の前進と発展を目指す。
・「連絡会」の地域住民への周知ビラ配布活動、抑止・監視活動をも含めて――(ネット等で呼びかけた)直接抗議行動に限定されないものとして――カウンター行動を定義するべき。
【4】法制化の問題と課題
ヘイトスピーチに対する法的規制、また基本法を含めた法的整備の問題について、私たちは次のように考えます。
国連勧告の受け皿が現行の法制度において存在しないことは問題です。在日当事者の切実な思いを受け止めるべきだと私たちは考えています。だからこそ、法的整備の過程における主体としての当事者の参画が、立法府・行政府において実現されることを、私たちはまず何よりも第一に法制化の議論の前提と考えるものです。現在の立法府における議論は、スタートラインにさえ立っていない、というのが私たちの認識です。
たとえば私たちは、民主党政権下における「障害者」差別をなくすための法制定過程が、当事者を主体とした大きな運動を背景にして進められたこと、障がい者制度改革推進会議(委員25名のうち、14名が「障害」当事者やその家族)の下に「障がい者総合福祉法」制定への検討と骨格提言がされたにもかかわらず、結果的には国家官僚の意図により当初の理念を「骨抜き」にされた「障害者総合支援法」という当事者不在の法律として施行されるに至ったこと、これらの過程をつぶさに見ています。
だからこそ、主体としての当事者が声を上げる条件を持たない、あるいは参政権すら有することのない現状において当事者不在の立法府で議論される――まして自民党のプロジェクトチームが国家権力の強権化をのみ意図して議論を行っている――そのような現在の法制化の過程の問題を措いては、私たちは、基本法の制定にも、まして罰則規定を含む実体法の制定にも、ただちに賛同することはできません。
閣僚の大半が「日本会議」のメンバーであり、「慰安婦」問題に見られるように政府自らが「歴史修正主義」を国家政策の基本に据えようとしている安倍政権です。このような政権のもとでは、法的整備も大きく歪められると私たちは考えています。
当事者主体の議論のもと法的整備が検討されるとき、スタートラインに立ったことになると私たちは考えています。そのときこそ、私たちはまず基本法の制定への賛同を、その是非を、国家権力の強権化の問題性――<在特会>のデモを不許可とせよ、公園や公民館の<在特会>による使用を不許可とせよ、といったスタンスや運動については、慎重に吟味する必要があると私たちは考えます――を踏まえたうえで、検討することになるでしょう。
私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下「連絡会」)は、次の三点の方針に基づいた防衛活動を、これまで主軸として活動してきました。
第一に、大衆運動としての社会的包囲網を形成することによって<在特会>(注※)を封じ込めること。第二に、<在特会>を生み出した日本社会の歴史的土壌を問題とし変革するために社会的包囲網を形成すること。そして、第三に当事者を尊重すること、すなわち、当事者が置かれている立場を理解し、運動を学び、当事者と共に闘う立場に立つこと。
※<在特会>――本文では『在日特権を許さない市民の会』のみでなく、街頭で差別・排外主義言動を行い、それらをインターネット等で拡散させる団体・個人の総称とします。
その一方、2013年の新大久保での毎週に及ぶヘイトデモを受けて、現場カウンター行動がネットを中心に呼び掛けられ、反ヘイト行動の参加者は激増しました。そして、それと呼応して、メディアや出版物を中心にヘイトデモやヘイトスピーチへの社会的な関心が広がりました。このようにヘイトが政治問題化・社会問題化していく中で、2014年には国連人権委員会からの勧告が出され、諸外国から日本政府に対する批判的圧力が強まり、国内においても法的な対応が検討されてきています。
しかし他方では、第二次安倍政権が発足し、その差別・排外主義的なナショナリズム政策が突出していく中、ネットやメディア、またそれにより形成された世論のもとで、「つくる会教科書」採択や尖閣諸島などをめぐる領土問題、靖国参拝など、差別・排外主義とナショナリズムが扇動され広がっていきました。
(2)開かれた討論の必要性
そのようなめまぐるしい情勢の中で、私たち「連絡会」は、反差別・反排外主義・反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動を前進させるために、『Milestone』読者の皆さんに、広く討論を呼び掛けたいと考えています。
私たちは、これまでの数度に亘る内部討論会の過程において、私たちの中での一定の共有点と相違点を確認し、課題と論点を明確化させようと努力してきました。今回、その課題と論点を、未だ端緒に就いたばかりですが、提示することにします。「議論のための議論」に陥ることなく、実践による検証と総括、それに基づく議論の深化をこそ、と考えています。
【2】 日本社会の土壌の問題
(1)土壌の歴史
日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配。その過程で起きた虐殺、日本軍「慰安婦」、強制連行、強制労働、同化政策。それらを強行した天皇制のもとにあって、日本人は自ら「天皇の赤子」として身を置き、抑圧民族として存在しました。日本は戦争に敗れ、新憲法のもと戦後「民主主義」体制がスタートします。
しかしそれは、天皇制や国家官僚の温存維持、侵略戦争・植民地支配についての自己批判(その責任)の放棄――それは、国家と国民の共犯関係であるとも言えます――から生じる、歴史認識に対する故意の忘却に基づく、欺瞞に満ちた体制でした。そのような体制のもと、同化と追放をコインの両面とした、指紋押捺制度に代表される「在日は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という発想に規定された入管体制が存続し、在日は戦後「民主主義」の枠外へと置かれ続ける、そのような差別的な制度が維持されてきました。
戦前の帝国主義・植民地主義を継承した差別・排外主義が、戦後体制として現在に至るまで継続されてきたのです。それは日本人が「抑圧民族であり続けている」ということにほかなりません。
(2)土壌の現在
1990年代後半に、「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される「右派市民運動」が胎動し、「慰安婦」問題を始めとする「歴史修正主義」を展開し、小林よしのりがそれを大衆化しました。1990年代における「文化人とマンガ」の結合は、近年における「<在特会>とネット」の結合と、相似形をなしています。石原慎太郎元都知事の数多くの差別発言と、それを容認する社会のあり様、そしてその後の歯止めなき社会全体の差別・排外的右傾化は、戦後民主主義体制の欺瞞性の本性が露呈し、具現化していく過程でもありました。
その大きな表れが、少数派や「異端」者を攻撃する「バッシング」の激化です。そのターゲットは<在特会>がターゲットとしてきた人々・事柄と通底しています。小泉政権下での新自由主義・グローバリズムとそれに伴う格差社会が、とりわけ青年層の閉塞感を引き起こし、結果、その閉塞感は「鬱憤晴らし」として「自分よりも下」であると見なした人々へと向けられていきます。新自由主義・グローバリズムと国家の強権化や差別・排外主義化は一体です。
つまり、グローバル資本主義体制のもとでの中国・韓国の経済的(あるいは中国においては軍事的)台頭に対する「国民」の不安が、差別・排外主義化と国家の強権化を要求し、結果、第二次安倍政権の登場を可能にしました。そうした過程において、日本社会は「慰安婦」、強制労働、戦後補償といった事柄をめぐる当事者の権利主張・異議申立をさえも「中国・韓国の台頭」と認識します。そしてテクノロジーとしてのネットが発展し、「ネット右翼」といった現象のもと大衆の心性に隠されていた差別・排外主義の意識が一挙に可視化したとき――「フジテレビ抗議デモ」など――その差別・排外主義が街頭へとなだれを打って登場していくことは、ことさらに新たな現象と言えるようなことではないのです。
(3)土壌の変革と<現象>を撃つ相互性
歴史的過程に規定された現在の状況が<在特会>現象を生み出し、ヘイトスピーチを撒き散らすその土壌としてあるとき、そのような土壌を問題とし、その歴史的根拠と要因をえぐり出し土壌を変革すること。それはすなわち日本社会総体の変革を志向するということです。土壌が変革されなければ、<在特会>現象を封じ込めることはできない、しかし一方で、<在特会>現象を封じ込めることなくして、土壌を変革することもできません。いわば、両者は相互的な関係にあります。
「土壌」が存在する以上、<在特会>に続く新たな「現象」が出現する可能性は大いにあります。田母神グループ、「日本会議」など、極右勢力の台頭は、ヨーロッパ諸国ではすでに現実化しています。だからこそ、私たちは、「モグラ叩き」には陥らないように、<在特会>現象を生み出した、この日本社会の土壌を変革する、その観点を維持しなければなりません。
当事者の怒りを土台とした、その怒りに共鳴する広範な日本人民衆の立ち上がりこそが、差別・排外主義に反対する個別具体的な課題を、そしてその運動を、前進させる鍵であると考えます。
【3】 いかに闘うか
(1)ネットワークと社会的包囲網
私たちは、<在特会>現象と闘う多種多様な団体・グループ・個人のネットワークが形成されることによる社会的包囲網の構築を目指しています。多種多様であるということは、各々の専念する事柄も、観点も、アプローチも、得意分野も、異なるということです。私たちとは別のあり方で<在特会>現象と闘う人々に対して、建設的な相互「批判」は行うが「否定」はしない、彼我の相違を前提として、相乗効果を生み出す関係性としてのネットワークの形成を志向しています。そのようなネットワークを創るには、その過程における相互の交流・討論が何よりも重要であると考えています。
相互に学び、課題を整理し、実践し検証する、そのようなネットワーク化の過程に寄与することを目的として、私たちは、連続的に討論集会を開催し、この『Milestone』を定期刊行しています。多種多様な闘い方・戦術には必然性と必要性があります。そうした様々な領域に亘る運動が、現在の反ヘイトの闘いにおいて必要とされている、と考えています。
(2)「連絡会」の活動
では、「連絡会」は、どのような活動を担うべきなのでしょうか。
①防衛活動
「連絡会」は当初より、防衛活動をその重点的な活動として位置付けてきました。「慰安婦」、強制連行、関東大震災の際の朝鮮人虐殺、高校無償化からの朝鮮学校排除など、こうした運動課題は、歴史に根差した現在進行形の課題としてあり、同時に、日本社会の土壌変革の課題としてあります。そして、そのような個別的な運動課題は、<在特会>の当初からの攻撃のターゲットとしてありました。だからこそ、そのような集会・デモ等の貫徹のための防衛任務を担うことを、私たちは自身の活動の主軸として位置付けてきました。
防衛活動においては、当事者との信頼関係の構築が前提です。歴史に学び、現実の闘いを共有することを通して、当事者が置かれている立場を理解し、当事者の立場を尊重する姿勢が必要です。主催当事者と共同の防衛活動を通して、当事者との信頼関係の構築とそれを軸とした社会的包囲網を形成していくこと。そのような方向性のもとに、防衛活動を担ってきました。
②カウンター
2013年の東京・新大久保でのヘイトデモ、対するカウンター行動。「連絡会」は、<在特会>のデモに対しては、その暴走を阻止し、当事者である地域住民を防衛し連帯を表明するという観点に基づいて、防衛活動のひとつの形態として、カウンター行動の際の地域住民への(ヘイトデモ通過の周知とそれに対する私たちの見解・認識を記した)ビラの配布を行いました。
「連絡会」もまた、ヘイトクライムの現場での対峙形態を「抑止・監視活動を超えた直接対峙」として位置付け実践していく必要性について議論してきました。
(この文章では「<在特会>デモに対する、ネットで不特定多数に呼び掛けたうえでの直接抗議行動」をカウンター行動と指しています。)
しかし、「連絡会」は、<在特会>のデモ参加者の暴走である「お散歩」に対しては、「お散歩」という暴力形態を阻止する実践的方針を立てきることができず、その評価と方針化・実践化の面で「立ち遅れた」と言わざるをえません。その点で、「お散歩」の現場において実力で対峙し、差別的・暴力的活動を阻止した「カウンター行動」を評価するものです。
私たちは、上記の直接抗議行動としてのカウンター行動が、<在特会>の「お散歩」を阻止し、新大久保でのヘイトデモを継続不可能な状況へと追い込んだこと、またそのための多数の人々の行動参加を実現したこと、そして、その過程において、ヘイトスピーチやヘイトクライムの問題を社会化・政治化・国際化させる原動力となった点において、これを高く評価しています。
しかし、同時にカウンター行動の中には、次のような様々な問題が内包されているとも考えています。
(3)カウンター行動の課題
日本社会の歴史的な土壌に規定された現在の「現象」とは、<在特会>現象をのみ指すものではありません。私たちは、現在のカウンター行動に内在するひとつひとつの具体的なあり様を、この日本社会の歴史的な土壌に規定された現象であるとして、その淵源にある土壌を変革する観点から検証していきたいと考えています。したがって、以下の提起は、カウンター行動それ自体を「否定」するものではなく、カウンター行動の前進と発展を企図してされているものであることを、改めて強調しておきたいと思います。
①差別言辞・行為
<在特会>に対して、中指を立てて抗議する行為、また、性差別言辞や「障害者」差別言辞をもって抗議する行為がカウンター行動において見られてきました。直接ターゲットとなっている当事者はもとより、カウンター行動の中にも女性や「障害者」の仲間は多く存在します。その当事者にとっては、カウンター行動の中での差別言辞・行為によって、<在特会>らのヘイトスピーチと同時に、カウンター行動を取り組む仲間からのヘイトスピーチにもさらされていることになるわけです。
「慰安婦」問題は性差別の極致というよりほかなく、そのように歴史的事象が総括されないまま継続し再生産されている日本社会において、性差別や「障害者」差別は歴史的過程に規定された土壌として存在します。
②『日本の恥』という表現
『(レイシスト在特会は)日本の恥』といった内容のプラカードがカウンター行動において散見されます。しかし、そのような主張は「レイシズムと無縁な民主主義vsレイシスト在特会」という誤った問題設定を導くものではないでしょうか。そうした主張においては、レイシズムは<在特会>だけの問題となり、私たち「日本人」が抱えている戦後「民主主義」体制に歴史的な土壌として存在するレイシズムは不問に付されてしまいます。
③『仲良くしようぜ』のスローガン
『仲良くしようぜ』というスローガンが、カウンター行動において散見されました。最初にそのスローガンを掲げた在日当事者の意図を私たちは改めて捉え返す必要があると思っています。歴史的に「抑圧民族」であった日本人が、それを捉え返すことなくこの言葉を使うとき、「日本人は抑圧民族であり、在日当事者は被抑圧民族である」――この事実を不問とすることになります。そのようなスローガンの使用には、私たちは賛同することができません。抑圧民族である日本人は「足を踏んでいる者」です。その足を自らどかして初めて「仲良くしようぜ」と言える、そう「足を踏まれている者」に対して呼び掛けることができる、そうした可能性を模索することができるのではないでしょうか。
『仲良くしようぜ』と在日当事者に対して呼び掛ける前に、抑圧民族である日本人には、なさなければならないことが山積しているのではないでしょうか。それこそが、抑圧民族である私たち日本人の負うべき責任なのではないかと考えています。
④天皇主義右翼
また、カウンター行動の隊列の中に存在する天皇主義右翼は、反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動においては社会的包囲網の外部に位置する、と私たちは考えています。このことは、差別に通じる(問題が内在すると私たちが考える)表現がカウンター行動において見られるという①の問題とは位相が異なる問題です。「抑圧者―被抑圧者」という関係の中にあるという現実を、常に問われ続けながら、自らが捉え返していく中で認識していかなければならない。そうした課題がカウンター行動の参加者にも私たち「連絡会」にも内在する、ということです。
私たちは、天皇制を支持し、日の丸を是とし、靖国神社を肯定する、そのような右翼との「共存」は成立しないと考えています。天皇主義右翼は、多種多様なネットワークの中における「相違点」を意味するものではなく、ネットワークにおいて「敵の敵は味方」のような主張のもとに容認されうるものでもありません。
(4) 私たちの議論――論点提起
私たちが議論を重ねる中で出されたいくつかの意見を紹介します。これを私たちからの論点提起として、開かれた議論へと進めていきたいと考えています。
・カウンター行動は、反<在特会>運動における多様な戦術のひとつであり、すべてではない。社会的包囲網形成のためのネットワークの中で、「連絡会」の役割が何であるかを方針化することが先決であり、そのうえでカウンター行動を方針化するかどうかが導き出される。
・カウンター行動は、レイシストに対する抗議の意思を広く可視化させた。レイシズムを容認するのかしないのかを鋭く社会に問い掛けることを実現した。そして、レイシズム・ヘイトスピーチに対する反対の意思を具体的に直接表現できる場を街頭において創り出し、結果、カウンター行動参加者も激増した。眼前で繰り広げられている不正義極まりない状況があるとき、そのことに対して否!と声を上げ、阻止する行動があってこそ、社会的包囲網を形成することができる。
・地域住民すなわち当事者の声を尊重するべきである。「当事者不在の衝突」に陥らないように地域住民を軸とした陣形を作っていく、その方向性こそ重要である。「連絡会」は、そのサポート役を担うべきである。
・繰り返されるヘイトデモにより地域住民すなわち当事者が孤立無援の状態にあった中、日本人によるカウンター行動の登場は、一定の地域住民の賛同を得た。そのことに対する代行主義との批判は該当しない。
・カウンター行動において、「警察権力・機動隊を積極的に導入し、<在特会>を制圧させる」という方針を取ったということについて、「連絡会」の警察権力に対する姿勢や評価とは違いがある。警察権力の弾圧はカウンター側にも向けられており、介入阻止・対峙の姿勢が求められる。
・警察権力による介入・制圧によって結果的に<在特会>を阻止できた、という評価もあったが、カウンターの広がりやさまざまな創意工夫を持った取り組み、メディア・知識人・国会内外の社会的包囲網による力を見るべき。
・地域住民の陣形形成をサポートする。いわゆる左派潮流に対してカウンター行動への参加を訴える。一方で、カウンター行動参加者に対して「土壌」変革の重要性を内在的な批判として訴える。そのようにしてカウンター行動の前進と発展を目指す。
・「連絡会」の地域住民への周知ビラ配布活動、抑止・監視活動をも含めて――(ネット等で呼びかけた)直接抗議行動に限定されないものとして――カウンター行動を定義するべき。
【4】法制化の問題と課題
ヘイトスピーチに対する法的規制、また基本法を含めた法的整備の問題について、私たちは次のように考えます。
国連勧告の受け皿が現行の法制度において存在しないことは問題です。在日当事者の切実な思いを受け止めるべきだと私たちは考えています。だからこそ、法的整備の過程における主体としての当事者の参画が、立法府・行政府において実現されることを、私たちはまず何よりも第一に法制化の議論の前提と考えるものです。現在の立法府における議論は、スタートラインにさえ立っていない、というのが私たちの認識です。
たとえば私たちは、民主党政権下における「障害者」差別をなくすための法制定過程が、当事者を主体とした大きな運動を背景にして進められたこと、障がい者制度改革推進会議(委員25名のうち、14名が「障害」当事者やその家族)の下に「障がい者総合福祉法」制定への検討と骨格提言がされたにもかかわらず、結果的には国家官僚の意図により当初の理念を「骨抜き」にされた「障害者総合支援法」という当事者不在の法律として施行されるに至ったこと、これらの過程をつぶさに見ています。
だからこそ、主体としての当事者が声を上げる条件を持たない、あるいは参政権すら有することのない現状において当事者不在の立法府で議論される――まして自民党のプロジェクトチームが国家権力の強権化をのみ意図して議論を行っている――そのような現在の法制化の過程の問題を措いては、私たちは、基本法の制定にも、まして罰則規定を含む実体法の制定にも、ただちに賛同することはできません。
閣僚の大半が「日本会議」のメンバーであり、「慰安婦」問題に見られるように政府自らが「歴史修正主義」を国家政策の基本に据えようとしている安倍政権です。このような政権のもとでは、法的整備も大きく歪められると私たちは考えています。
当事者主体の議論のもと法的整備が検討されるとき、スタートラインに立ったことになると私たちは考えています。そのときこそ、私たちはまず基本法の制定への賛同を、その是非を、国家権力の強権化の問題性――<在特会>のデモを不許可とせよ、公園や公民館の<在特会>による使用を不許可とせよ、といったスタンスや運動については、慎重に吟味する必要があると私たちは考えます――を踏まえたうえで、検討することになるでしょう。
2015年2月20日
「拡がるレイシズムとヘイト~どう闘うのか~」 3.7差別・排外主義にNO!第4回討論集会報告
パネリストとしてお話いただいたのは、川原栄一さん(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク<略称:「のりこえネット」>)・新孝一さん(反天皇制運動連絡会)・武市一成さん(國學院大学講師)・藤田裕喜さん(「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会)・堀純さん(部落解放同盟練馬支部)および当会メンバーTNです。
上記の企画趣旨でプログラムを組んだわけですが、今回の討論集会は私達にとって、もう一つ大きな意味を持つものでもありました。当会では、反レイシズム・反ヘイトの闘いの現状と課題について半年間に及ぶ内部討論を経て、その成果を『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』(※)という1本の文書にまとめて公表しました。今回の討論集会は、その内容を多くの人に提起して意見交換をする最初の場でもあったのです。当会メンバーからの発題はこの「提案」に沿ったものであり、他のパネリストの皆さんからはこの「提案」と噛みあった形での発言もいただきました。
※『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』は、当会発行の『Milestone 里程標』第3号に全文掲載されています。ぜひご覧の上、ご意見をお寄せ下さい。
まず、極右安倍政権によって国家主義的政策が強権的に推し進められている政治状況があるわけですが、それが社会レベルで深刻な影響をもたらしていることが、パネリストの皆さんのお話からよくわかりました。
戦前的な価値観で政治を右に持っていこうとする安倍政権に対して、戦後の平和な価値観を象徴するものとして「リベラルな明仁天皇」を持ち出すことで対抗しようとする一部の知識人がいます。その動きには、危機の深さを感じさせられます。戦前的な政治に「平和な象徴天皇制」を対抗させることは、この国の排外主義・民族差別が天皇制による侵略戦争・植民地支配によって作られて、今なおその歴史が清算されていないという問題を曖昧にする危うさをはらむからです。
また、自治体労働者の大きな左派系労働組合の幹部だった人間が、今はネット右翼になっているという話。地域住民の生活に密着した業務に携わることで市民の生活がよく見えるはずの人間が、人権を蹂躙する生き方に転落する。
これらの話からは、社会総体が右に大きく傾いていることがよくわかります。また、部落解放闘争を担う人々の中にも、本人はそれを問題だと気付かずに外国人への差別発言をしている人もいるという厳しい現実からは、この社会に民族差別が拭いがたく染みついてしまっていることを感じざるをえません。
さらには、地域社会が衰退して住民同士のつながりが希薄になることから生まれる住民の孤独感があります。その孤独感から、外国人への排外主義的な感情が地域に入りやすくなっている状況もあります。東京・大久保地域でのフィールドワークに取り組んでいる武市さんの指摘です。
社会全体がレイシズムに浸食されやすくなっていることが、パネリストの皆さんのお話しから理解できました。
この日、キーワードになった言葉が二つ。「日本の恥」と「仲良くしようぜ」です。両方とも、レイシストに抗議するカウンターの現場でよく見られる言葉です。
レイシストに投げかけられる「日本の恥」という抗議の言葉は、ヘイトへの怒りが道徳的国権論に絡め取られる危険があります。「仲良くしようぜ」のプラカードは、民族差別を考えるにあたって重視 しなければいけない日本人自らの加害者性を曖昧にします。
これらの論点は、レイシズムやヘイトとの闘いが、一歩間違えれば天皇制や国家という政治の枠組みに吸収されかねない危うさがあるということを感じさせます。
国家・天皇制・加害民族というのは、私達が否応なしにその枠組みの中に置かれてしまっている立場性です。そのことをきちんととらえ返して、これらの立場性をひっくり返す大きな方向性がないと、国家そのものがヘイト化する現状とは闘っていけないのではないかと感じさせられます。
国家・天皇制・加害民族というのは、私達が否応なしにその枠組みの中に置かれてしまっている立場性です。そのことをきちんととらえ返して、これらの立場性をひっくり返す大きな方向性がないと、国家そのものがヘイト化する現状とは闘っていけないのではないかと感じさせられます。
一方、別の次元からの見方も指摘されました。新大久保のニューカマー(新定住者)の韓国人で「(ヘイトは)日本人として恥ずかしい」という言葉はうれしいという人もいました。
また高校無償化からの朝鮮学校排除を考える時には、「(そのような事態を許してしまっていることを)自分はやはり日本人として恥ずかしいと思う」という発言もありました。「仲良くしようぜ」のプラカードも、カウンター現場で最初に掲げる時には、「人と人の関係としてみようではないか」という意味でいい言葉だったし、激しい憎悪の現場では当事者に向けては意味のある言葉であるという指摘。
これらは、いわば現場での直感的な感情でしょう。レイシズムと直面している現場で、人を行動へと動かして闘いを形作る感情があります。理不尽なものへの率直な怒り、人間としての連帯を求める本能的な欲求です。これらを外に向かって形にできる時、人は行動へと向かいます。国家・天皇制・加害民族という乗り越えなければいけない立場性と、それとは別次元の感情。その両者をどのように整理して闘いを作るのかを考えさせられます。
異なる運動領域の人達との連携をどのように作るかという視点では、国連の人権勧告を実現する運動やインターネットテレビ配信を主な闘争手段とする運動の実践から、示唆を受けました。
「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会は、性的少数者への差別に反対するところから運動が始まって、他分野の活動をしている人達との出会いから活動領域を広げていきました。国連勧告の実現を政府に働きかけるという一点を運動の目的にしていることもあるのですが、そもそも異なる分野の活動が集まっているので、まずお互いを理解しようとする姿勢がなければ運動が成り立たない。それなので意見やモノの見方の違いが「(運動の)対立」にまでなることはないそうです。
インターネットテレビ配信を活動の柱にする「のりこえネット」は、できるだけ多くの人に問題を訴えることを主眼にします。「右に傾く日本を変える大きなうねりを作りたい」「右傾化する全体状況にまず反撃する」ということで、反レイシズムを基調としつつ、思想信条は問わずできるだけオープンに広げていく方法論を取ります。
闘いの現場にはいろいろな人がいます。反天皇制運動連絡会や部落解放同盟にとっては天皇制右翼とどのような距離をとるのかが課題になります。そしてそれは、朝鮮・中国への民族差別の原因が天皇制国家による侵略戦争にあると考える私達にとっても、同じ課題なのです。「現場では喧嘩はしないが、共闘もしない」というスタンスが、ほぼ共通のものでした。
最後に、あまり時間がなかったために論議を深めることができなかったですが、ヘイトの法的規制と表現の自由の関係についても話題になりました。
表現の自由の枠で語ると差別の問題が見えにくくなるのではないか(パネリストの方は「回収されてしまう」と表現されていました)という意見や、何が差別かについて社会的合意が得られたものがあるので、それについては法的規制がされてもいいのではないかという意見が出されました。法的規制については、「表現の自由」の視点からではなく、差別問題の視点から考えた方がいいということだと思います。集会参加者は65名でした。
2015年2月24日火曜日
3.7 差別・排外主義にNO! 第4回討論集会
川原 栄一さん (のりこえねっと) 堀 純さん (部落解放同盟練馬支部) 新 孝一さん (反天皇制運動連絡会) 藤田 裕喜さん (「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会) 武市 一成さん (國學院大学講師。多文化交流、国際交流) 差別・排外主義に反対する連絡会 |
来る第4回は、「拡がるレイシズムとヘイト ~どう闘うのか~」と題して、前回の課題を継続するとともに、この課題に取り組んできた各々の実践を通じて見えてきたもの、困難さ、連帯・共闘の展望などを、意見交換できればと考えています。
この間、フランスで起きたテロ事件を契機に、欧州各地でイスラム教徒の移民2世、3世への差別・排斥が強まっています。そして日本においては「イスラム国」による日本人人質殺害事件をめぐって、安倍政権は2人を見殺しにした責任を問われることなく、「テロに屈しない」と挙国一致の空気が蔓延、批判の声に対しては圧力、バッシングが吹き荒れている状況です。
こうした中で、勢いづく安倍政権は<戦後レジームからの脱却>=<改憲と戦争のできる国>へと突き進んでいます。今年はまた、戦後70年、日韓条約50年という歴史的節目の年であり、新たな「談話」も予定されるなかで、レイシスト―排外主義者らが活気づく可能性が高まっています。私たちは、この事態から何を洞察し、どう行動するのかが問われています。
討論集会を通して、ともに社会的包囲網の形成に向けての一歩を。多くのご参加をお待ちしています。
2014年10月22日水曜日
【10.5Actionの報告】
許すな!差別排外主義 10.5 ACTION
~生きる権利に国境はない! 私たちの仲間に手を出すな!~
差別・排外主義に反対する連絡会は、別掲の9・21集会とワンセットでこの日のデモを企画した。あいにくの大型台風が接近し、前夜からの土砂降りの雨を突いて、100名に及ぶ人たちが参加した。
主催者発言-差別・排外主義に反対する連絡会の結成以来、重要な柱として、攻撃を受けている当事者とどう繋がっていくのか、私たちの役わりは何か、自分たちの中にある差別意識を抉り出し、捉えかえそうとしてきた。
集会の前日には、デモの趣旨を書いたビラを持って職安通りデモコースの店1軒1軒を訪ね、私たちの声を届けて来た。何軒かの店では、「配るから何枚か置いて行って欲しい」という熱い申し出もいただいた。
ヘイト・スピーチに対する国連の勧告が出るなど一定の反撃が行われているが、朝日新聞バッシングや元記者への脅迫、レイシズムの嵐が続いている。又、カウンターの中にもある女性差別的傾向やナショナリズム的傾向については共に議論し、捉えかえしていかねばならない。歴史に耐えうる行動、社会的包囲網を作り、地域に声を届けていきたい。
次に、いくつかの団体から、連帯の挨拶をいただいた。
高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会-朝鮮学校だけが、高校無償化から排除されて3年半。高校生62人が勇気を持って、国賠訴訟に踏み切ってくれた。先日行われた第3回口頭弁論で、弁護団長が、「人種差別撤廃委員会から厳しい勧告が出ている中で、世界が注目している裁判であることを忘れないで欲しい。この高校生たちが、なぜ排除されているのか。その事にきちんと答えうる裁判にして欲しい」と、諭すようにもの静かに語った。裁判長はじっと聴いていた、と報告した。
反天皇制運動連絡会-右翼が政権中枢を占めている中で、警察や軍隊の役割が強くなっている。昨年の国家秘密法以降、警察の捜査への批判が強まる中、それをひっくり返して、情報を集中させる仕組みを拡大しようとしている。これに対抗する地道な活動を行っていきたい。敗戦の「詔勅」でヒロヒトは、「国体が維持された」と言っている。日中戦争の最中、あらゆる運動を叩き潰して来た治安維持法に、37年、「国体の本義」を確定させ、それを引き継いで戦後が出発している。だからこそ、天皇制、思想管理と闘っていきたい。
米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する荒川・墨田・山谷&足立実行委員会-2000年、石原都知事のビッグレスキュー以降、防災訓練に反対し続けて来た。高校生の自衛隊宿泊訓練や、「職場体験」と称する入隊など、当事の衝撃が今では当たり前になっている。関東大震災時の朝鮮人虐殺を許さず、排外主義と闘って行く、と決意を述べた。
「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会-政府が、「従う義務は無い」と、従来の姿勢に終始している中、勧告を生かすも殺すも、私たち次第である、と訴えた。
争議団連絡会議-「一人の首切りも許さない。現場に戻る」事をモットーに、中には40年闘っている人もいる争議団で構成されている。現在、経営者の自宅への団交要求行動に対して「1日当たり20万から100万円を経営者に支払え」という裁判所の決定が出される中で闘っている。安倍政権が戦争のできる国家へ突き進む中、国民の考え方の根底にある差別・排外主義と闘っていきたい。
集会終了後、デモに出発した。デモは、柏木公園から新宿の繁華街を通り、悪天候にもかかわらず4㎞近いコースを意気軒昂に貫徹した。沿道の注目を浴びビラの受け取りも良かったことも併せて報告しておきたい。
差別・排外主義にNO! 第3回討論集会の報告
<在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?
このたび、差別・排外主義に反対する連絡会主催による「9.21差別・排外主義にNO!第3回討論集会」を東京・文京区民センターで開き、約100名の参加を得ました。昨年12月の「2013年を振り返って-何が起こっているのか?何が問題なのか?」、今年2月の「攻撃された当事者は何を思う?私たちはどう繋がるか?」に引き続き、今回のテーマを「<在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?」とし、長年にわたって取材を続けてきたジャーナリストの安田浩一さんからの報告と、在特会からの攻撃のターゲットとされる運動を担ってきた方々によるパネルディスカッションを集会の柱としました。
まず司会が、連絡会の簡単な紹介とこの間の情勢を概括し、在特会の攻撃対象が在日外国人から反原発・天皇制・生活保護・部落問題・等と様々な分野へと広がっている状況の中で運動側の横の連携が不十分ではないかとの懸念を示し、相互認識を深め模索しながらも連帯しながらそれぞれの運動を広げていきたいと、本集会の趣旨を語りました。
集会の第一部は「報告 <在特会>が憎悪の対象とする人々」として安田浩一さんからお話をしていただきました。
これまで在特会の話は十分にしてきたとしながら、まずは在特会をご自分にとっての大きな取材テーマとした発端から話してくださいました。
「様々な局面で外国人問題を取材してきたが、その中に研修生・実習生の存在があった。制度の理念としては外国と日本の交流やら技術移転やらがあったが、実際には低賃金の出稼ぎ労働者という存在。しかも研修生・実習生とすることで労働者ですらない。正当な労使関係を結ぶ必要がない支配・従属の関係でしかない奴隷的立場に置かれている。法的最低賃金は保障されず、パスポートも預金通帳も帰国まで雇用者が預かる。就業の際の同意書には、雇用者に逆らえば直ちに強制帰国させるという項目がある。訪日の際には保証金等が必要で借金を抱えているので帰国の危険は冒せない。労働運動への関与の禁止のみならず、携帯電話所持禁止・ネットカフェ等インターネット環境への接触禁止・恋愛禁止・等々まである。
大きくはグローバルな新自由主義的経済構造の中で起こっていること。大企業の下請けの中小零細企業は生き延びるためにこの制度に飛びつく以外にない。とは言え、労基所への密告の報復として全員に往復ピンタを食らわせる場面も目撃したことがあるが。中国にある日本へ行くための研修学校の取材では、根性・忍耐・従順さを叩き込んでいるという説明を受けたこともある。
帰国直前に貯金額が予定額に達していないと知らされて帰国を拒んで逃亡した中国人がいた。彼は各地を転々としながら職を得る中で、職務質問を避けようとした挙句に警察官に射殺された。これに対して遺族が国賠訴訟を起こした。この提訴に対して後に在特会へと合流する(現在は断絶)西村修平なる人物がネット上から呼びかけて、裁判所前でヘイト攻撃が展開された。これが自分と在特会的存在との出会いだった」
「そもそも在特会だけが問題なのではなく、社会に在特会的な空気が蔓延していることが問題。元朝日新聞記者の再就職先にクレームを入れて解雇に追い込むのみならず家族までもターゲットにする。韓国ドラマを放映するフジテレビ・そのスポンサーの花王・反ネット上のデモを根拠に反日韓国人に仕立て上げられた女優をCMに起用したロート製薬も攻撃されるという状況。
お笑い芸人が発端として発生した生活保護問題も在日問題と絡める形で拡大していった。行政への密告が増大し、それに迎合して密告ホットラインを設置した自治体が12はある。外国人の生活保護受給は行政措置とした最高裁判決は、ネット上では違憲判決が出たと捻じ曲げられている。
水俣病患者、ハンセン病患者、広島・長崎の被爆者までもが攻撃を受けている。」
「こういうバッシングが運動として広がっていってしまっている。今まで、運動と言えば、それは権利を勝ち取るための運動だった。それに対して、これらは権利があると思う人を引き摺り下ろす運動としてある。戦後民主主義の中でぎりぎり勝ち取ってきた僅かなものを奪い取ろうとする。
これには彼らが抱く喪失感・奪われた感が根拠としてあると思う。しかし、彼らはその解決のために強い方には矛先を向けない。例えば、年間3万の自殺者のうち2万人が経済的理由による。これを福祉の貧困と捉えて改善を求めるのではなく、在日外国人が生活保護を独占しているのが原因であるというデマに飛びつき弱者に憎悪を向け攻撃する。
また、このように敵を発見して叩くのが目的化もしている。ありもしない在日特権がネット上で捏造されているのが好例。」
「被害者が受ける傷みを切実には理解していないと弾劾された経験がある。被害者が存在し、更に日々生み出されていること、当事者の受ける切実性を感じる必要がある。解決の努力を当事者のみに任せておいてはいけない。こういう社会をどう変えていくかの議論が必要。」
様々な具体的事例を挙げながら深刻な状況を語られ、
「表現の自由は間違った対置がなされている。表現の自由を奪われているのは弱者の方。沈黙を強いられているのは攻撃されている側。
ヘイトスピーチは『言葉の暴力』ではなく、単なる『暴力』」と締め括りました。
第二部のパネルディスカッションを開始する前に、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会にお話しいただきました。
「安倍のひどさは皆感じているだろうが、在日の人々はどれだけ長期間にわって差別の中で生きてきたかを考えて欲しい。昨年の国連人権勧告に対して、文科省は罰則規定がないからと一顧だにしなかった。他の課題についても政府はすべて同様な態度を取った。今回出た勧告でも政府が態度を変える展望はない。これに対して市民運動を大きく作る必要があると、諸課題を担う人々が共同で闘う体制が実現し、集会・デモを開催している。また、無償化排除に対して高校生が原告となった裁判も始まっている。」と切実な報告と闘いの必要性が提起されました。
休憩を挟んで第二部のパネルディスカッションに移りました。
司会によるパネラー紹介の後、それぞれに語っていただきました。
部落解放同盟奈良県連からは、まず水平博物館への差別街宣と裁判の概要が語られました。そして、博物館を被害者とすることで裁判には勝ったが、差別街宣自体は刑事罰にならないこと、不特定多数への差別発言は名誉毀損や侮辱罪が適用困難なこと、法務局の対応が何の効果もない形ばかりの物だったこと等、問題点も多く残されたとも。また、奈良の排外主義的動向について、「慰安婦」問題や住民投票に取り組んでいた議員や委員に対する自宅街宣でノイローゼから辞職に陥れた事例、排外主義企画への公共施設使用許可取消し要求が却下された顛末、強制連行や慰安所に関する公共の掲示板を天理市が撤去したことへの取り組みと共に、休校になっていた朝鮮学校がまずは幼稚部から再開する運びになったことを報告した。
反天皇制運動連絡会は、冒頭に「これまでの発言を聞いて、攻撃されている被害者といっても自分たちは同列ではないことを思い知らされた」と表明。デモが受けている攻撃の状況を報告する中で、在特会は街宣右翼ほどの思想を持たずに「ハンテンレン」という記号を攻撃しているだけだが、現場での行動・体験により内面化していく部分もあると注意を喚起。デモに対する激しい攻撃を加える街宣右翼結集の形を作ったのが在特会だったと、その存在の社会的問題性を指摘。天皇制批判の言論を拡大し、その観点から排外主義を問題にしていきたいと語った。また、ヘイトスピーチの法的規制について、現在は在特会寄りになっている警察の恣意性を制約する意味があると提起。表現の自由一般を問題にするのではなく、内容的に議論していくことが重要と訴えた。
脱原発テントひろばは、まずテントをメインターゲットとして攻撃しているのは街宣右翼ではなく在特会と報告(街宣右翼は別なメインテーマのついでにテントを扱うだけ)した。彼らの持つ暗い雰囲気と凡庸さの中にある理解不能な凶暴性を人間の本質から捉え返す必要があるのではと提起。自民党の中に広がる安倍に異論を出さず大勢に従う空気が市民社会に広がる可能性、異物を見つけ出し攻撃対象に仕立て上げることが大衆運動として成功していること、の危険性を指摘した。
「慰安婦」問題に取り組む女たちの戦争と平和資料館は、在特会が登場する以前から政治家やメディアを通したヘイトがあったこと、その中で資料館の設置場所も慎重に考慮したことを紹介した。そのため現在、在特会は集会を開催する施設やそこに入っている無関係のテナントに攻撃をかける手法が主となっていて、そのために行政や政治家が二の足を踏むようになるのではないかとの危惧を表明。弁護士をそろえると共に闘える人を揃える必要があると確認。一方、若い人が最初に誰と出会うのか、最初に出会ったのが在特会という若者が多いのではないか、と運動の拡大の必要性をあらためて確認した。
パネラーの最後に差別・排外主義に反対する連絡会メンバーから。攻撃する側が在日から生保・沖縄・等々と課題を広げる中で、シングルイシューで対抗できるのか、ターゲットにされた人たちが孤立しない様な連帯関係を作る必要があり、在特会に対する社会的包囲網を作っていきたい、またそれが反安倍の大きな体制にも繋がっていくと展望。在特会に対するカウンター勢力の大衆性を評価する一方で、散見される差別的姿勢・自己を日本人として肯定する前提等の克服課題の存在を指摘。検討課題として、法制化・国連勧告の認知度・表現の自由・グローバリズムや格差の拡大を通した国家への服従を要求する動き・等々を揚げ、これらを分析して捉えながら連帯・共闘するための議論の場として本集会があり、少しずつ入口をひろげているのではないかとの自負を表明した。
最後に会場からの質問にまとめて回答する形で、安田さんから。安倍内閣は、在特会的空気をまとい、在特会的な者が在籍し、在特会を肯定している、そういう内閣として認識する必要性があると提起。レイシストとして生まれる者はいないが被害者意識に陥りやすい人はいる、最初の出会いが重要であり、その意味で情報を与えているメディアと政府の責任は重いと指摘。生保の受給率は減っている(受給者数は増えているが)・補足率も成果的に見て低い・不正受給はわずか0.38%で最大要因が高校生のアルバイト・外国人犯罪で犯罪件数が増えているというのも事実は逆・等、ネットのデマに対抗して繰り返し正確な情報を伝えていく必要を訴えた。
司会から、これからの議論の必要性をあらためて訴え、本集会がその足がかりになったと確認しました。また、10月5日のデモへの参加を要請させていただき、交流会へと移行しました。
2014年9月28日日曜日
許すな! 差別・排外主義 10.5ACTION
生きる権利に国境はない! 私たちの仲間に手を出すな!
【日時】2014年10月5日(日)
13時30分集合、14時30分 デモ出発
【場所】柏木公園(西新宿)
JR新宿西口より7分 地図はこちら
私 たち差別・排外主義に反対する連絡会は、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件とそれに対するカウンター行動の教訓をきっかけに活動を立ち 上げてきました。カウンター行動と攻撃を受けている当事者とがどう結びつき、当事者にもたらす結果に対する責任をどう引き受けていくのか、また、レイシス トとの直接的対峙のみを自己目的化するのではなく、差別・排外主義的思想や風潮を醸成してきた歴史(観)そのものを対象化し、その根拠を払拭していく作業 を通して初めて、差別・排外主義と対決していく社会的包囲網の形成が可能になる、と考えて活動をしてきました。
毎年秋には、「許すな!差 別・排外主義 ~生きる権利に国境はない!われわれの仲間に手を出すな!~」をスローガンとして、地域デモを積み重ねてきています。今年は10月5日に新 宿地域デモを行います。より大きな、そして歴史に耐えうる行動と世論・社会的包囲網の形成に向けて、ぜひ一人でも多くの仲間がともに考え、行動に参加して いただけることを訴えます。
10.5 ACTIONへの参加・賛同呼びかけ
昨年は、新大久保を初めとして、差別・排外主義者らのヘイトスピーチ・デ モに対する抗議の声が大きな広がりを見せました。在日を含む地域住民による署名活動などの取り組み、国会審議での有志議員による追及や院内集会開催、12 人の弁護士による人権救済申し立て、ジャーナリスト・著名人による社会問題化等、ヘイトデモへの直接の抗議や監視、世論や社会的包囲網の形成において、大 きな前進を目の当たりにすることができました。また、今年7月8日には、大阪高裁における「京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判」控訴審の 勝訴判決が勝ち取られ、「在特会の行為は人種差別撤廃条約が禁じた人種差別に基づく違法行為である」と断じた京都地裁勝訴判決より一歩踏み込み、民族教育 や私人間の条約適用に言及した判決が出されました。さらに、7月、国連自由人権規約委員会が、在日韓国人らに対する「ヘイトスピーチ」に懸念を示し、これ まで以上に厳しい態度で、差別をあおる全ての宣伝活動の禁止を勧告しました。
私たちは現時点において、日本における在特会等の差別・排外主義者の台頭と跳梁跋扈に対し、ぎりぎりのところで対抗ラインを作り出してこれたのではないかと思います。
しかしその一方で、朝鮮学校を「高校無償化」の対象から除外するに留まらず、それと連動して補助金を打ち切る自治体が続き、小学校に配布していた「防犯ブ ザー」の支給を市が打ち切る(後に撤回し配布)という事態が進行してきました。沖縄県八重山地区などでの差別・排外的歴史教科書の採択強制、朝日新聞の検 証記事を捻じ曲げた「従軍慰安婦」問題における歴史的事実の否定と居直り、何より靖国参拝や教育への国家の右翼的介入、尖閣諸島をめぐる領土問題、秘密保 護法強行制定と集団的自衛権容認等、改憲・戦争する国づくりへと暴走する安倍内閣が高い支持率を保っている原因をこそ、問題としなくてはなりません。
私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件とそれに対するカウンター行動の教訓をきっかけに活動を立 ち上げてきました。カウンター行動と攻撃を受けている当事者とがどう結びつき、当事者にもたらす結果に対する責任をどう引き受けていくのか、また、レイシ ストとの直接的対峙のみを自己目的化するのではなく、差別・排外主義的思想や風潮を醸成してきた歴史(観)そのものを対象化し、その根拠を払拭していく作 業を通して初めて、差別・排外主義と対決していく社会的包囲網の形成が可能になる、と考えて活動をしてきました。
当事者の要請に基づく集 会・デモなどの防衛・監視行動、新大久保商店街や攻撃のターゲットになっている地域でのビラまきや話し込み、差別・排外主義に反対する討論集会やデモ、日 常的な当事者との交流の追求などを積み重ねてきました。カウンター行動ではチラシを用意して現地の商店街や通行人に配布しながら、ヘイトデモを包囲・追走 してきました。
こうした中で、残念ながらカウンター行動の中にも、ナショナリズム的な排外傾向や女性差別的な表現、差別に対して差別で対 抗するかのような行動が見受けられることに、私たちは危機感を感じてきました。これでは差別の根っこを断ち切り、差別・排外主義的歴史(観)を克服するこ とはできない、新たなナショナリズムとレイシズムの嵐に対抗できない、と思います。
この間、私たちは、上記の問題意識に基づき、さまざま な仲間たちとともに考え意見を交わしたいとの思いから、連続討論集会を開催してきました。9月21日には、「在特会はなぜこうした人々を憎悪するのか?」 と題して第3回の討論集会を開催します。また、毎年秋には、「許すな!差別・排外主義 ~生きる権利に国境はない!われわれの仲間に手を出すな!~」をス ローガンとして、地域デモを積み重ねてきています。
今年は10月5日に新宿地域デモを行います。より大きな、そして歴史に耐えうる行動と世論・社会的包囲網の形成に向けて、ぜひ一人でも多くの仲間がともに考え、行動に参加していただけることを訴えます。
多くの皆さんの10.5 ACTIONへの参加・賛同をお願いします。
○ 10月5日(日) 13時30分集合 14時30分~デモ出発
○ 会場:新宿・柏木公園 (JR新宿西口より7分)
差別・排外主義に反対する連絡会 Email: hannhaigaisyugi@gmail.com
郵便振替口座:00200‐5‐38572 差別・排外主義に反対する連絡会
(ATMで振込の場合、口座名義人が「フォーラム S―16 」と表示されます)
以下をコピーいただいてメールで hannhaigaisyugi@gmail.com 宛てお送りいただいても結構です。
10.5 ACTION に賛同します。
団体(1口 1000円)
○名称:
○口数: 口
個人(1口 500円 差支えなければ肩書きもお願いします)
○お名前: ( )
○口数: 口
公表 <可 不可> (どちらかお選びください)
“公表可”として戴いた方につきましては、後日、紙上等で報告させていただきます。
(ネット上では公表しません。)
2014年8月17日日曜日
9.21差別・排外主義にNO! 第3回討論集会
9.21差別・排外主義にNO! 第3回討論集会
<在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?私たち連絡会は、この間、お互いの意見や経験を共有、深化する場として連続討論集会を開催してきました。(第1回:「2013年を振り返ってー何が起こっているのか? 何が問題なのか?」。第2回:「攻撃された当事者は何を思う? 私たちはどう繋がるか?」)
今回は、この国の歴史と現実に真正面から向き合い、異議の声をあげている故に、<在特会>の攻撃のターゲットになっている運動を担う方々とともに、上記テーマによるパネルディスカッションを行います。
活発な討論を通して、より一層の広範かつ内実のある社会的包囲網の形成を、ともに獲得していきたいと思います。
皆さん、ぜひご参加ください。
【日時】2014年9月21日(日)
(13時15分開場、13時30分開始)
【場所】文京区民センター 2A会議室
(都営三田線/大江戸線春日駅A2出口 徒歩0分)
第一部 報告 <在特会>が憎悪の対象とする人々
講師:安田浩一さん
第二部 討論 差別・排外主義をどう捉え、対決するか?
それぞれが、いかに結びつき、反撃するか?
パネルディスカッション
部落解放、反天皇制、反原発、生活保護バッシング、
差別・排外主義に反対する連絡会、など、各運動から
※資料代 500円 ※集会終了後、同会場にて交流会を行います。
2014年5月13日火曜日
Column 公立学校の職員だった頃
1976年4月、私はある政令指定都市の学校事務職員になりました。当時は終身雇用という考えが当たり前の時代でしたが、それまで私は頻繁に職業を変えていました。年齢も30歳に手の届くほどになっていましたが、1年以上続いた仕事はなく、この事務職員という仕事も長続きできる自信はありませんでした。事務の仕事は初めてだったということもありましたが、それ以上に社会に馴染めない性格と諦めていたからでした。それまでの勤続最長記録が10か月でしたから、この事務職員という仕事が1年続いた時は、我ながら感心してしまいました。
事務職員2年目に入った或る日、配属された学校の校長が市教委からの要請があったとして、「特殊学級」(今は特別支援学級と称されているようですが、当時はそのように呼ばれていました)を設置したいと職員会議に提案してきました。通り一遍の障害児教育の必要性を語った後、その校長は本校に空き教室ができるから是非市教委の要請を受け入れたいと結びました。私はこの会議でどんな議論が交わされるのか興味深く見守っていました。しかし、議論はおろか反対する意見もなく、賛成多数で可決するかに見受けられました。
因みに、当時の職員会議は当然ながら教師が主体でしたが、事務職員も参加することができました。「教員会議」ではなく職員会議だったのですが、事務職員や学校用務員が会議に参加し意見を述べることを快く思っていない教師もいたようです。当時の学校における最高議決機関は職員会議であると位置づけられていましたから、教師が職員会議に出ないのは言語道断とされたのですが、事務職員の場合は「どうぞご自由に」という寛大な(!)状態でした。
設置されたら、いずれその「特殊学級」の担任になるかもしれない教師たち、しかも当時のこの学校の教師は障害児教育の基本さえも学んできていない人たちばかり、あまつさえ空き教室ができたから設置するという安易さに、私はすこぶるつきの違和感を覚えたことを今でも思い出します。本当に必要なら、空き教室云々は関係ないのではないか、設置してしまったら今いる児童の中から「その子」を選別せざるを得なくなるし、その時点では責任を持って担当できる教師はいないのではないか等々、考えざるを得ませんでした。ところが、当事者であるはずの教師たちからは何の意見も質問も出されませんでした。
「次年度から特殊学級を設置する」と決定宣言される前に私は、悩んだ末思い切って手を挙げました。私自身は事務職員であるので、門外漢ではあるけれどもという前提で発言を求めました。空き教室ができたから設置するというのは本末転倒ではないか等々、私は疑問に思ったことを全て述べ、もっともっと議論すべきこと、しかも次年度からというのはあまりにも性急すぎることなどを述べたのでした。その結果、多数意見は逆転し「特殊学級」の設置はなくなりました。
実は、私が言いたいのはそのことではなく、その後のことなのです。
それまで私は学校というところに1年以上勤務し、圧倒的多数が教員という中で、私のような事務職員或いは学校用務員、給食調理員も含めて、誰もが平等にそして比較的「民主的に」共存共栄しているところと感じていました。
しかし今思えば、それは波風の立っていない平穏無事の状態だったからかも知れません。学校という場もさることながら、教師という職業柄「平等」は常に念頭に置かねばならない命題だったはずです。そうしなければならないという観念と、実態としてそうであることとの区別がついていなかったのは、この世界も同じことでした。隠された本音は意外なところで暴露されるものなのです。
私が「特殊学級」の設置に反対したことが、思いもかけないところで噂になっていたようなのです。伝え聞いただけで正確ではないかもしれませんが、「事務職員ふぜいが余計なことを言った」云々、要するに職員会議に出席させてやっている事務職員に重要な議題がひっくり返されてしまった、というような内容だったと思います。「事務職員」という職業を明らかに一段下に見ていたということでした。うすうすは感じていたことなのですが、この時はっきりと確認できたのでした。校長も(特に市教委に対して)自分の顔がつぶされたと感じていたのか、私に恨みがましいことを言ってきましたし、どういうわけか「部落」の問題まで持ち出し「寝た子を起こすな」が一番と声を大にしていました。とんでもない教育者です。
多分この件がなければ、温厚で善良な校長と思っていたことでしょう。この校長さん、よほど腹に据えかねたのか、区校長会の席でも愚痴っていたとのこと・・・。いずれにしろ、この件で問題になったのは障害児教育とは何なのかということでは全くなく、別の次元の問題としてこの件は雲散霧消してしまったのでした。そのことがあった2年後(この学校に勤務して4年後)に私は別の学校に転勤したのですが、それから間もなく「特殊学級」が設置されたと伝え聞きました。
私が当初抱いていた(辞めるかもしれないという)予感は外れ、紆余曲折はあったものの、結局、定年退職まで学校事務職員でいることができました。その間、一部教員集団の中に根差していたと思われる差別意識に触れることもしばしばありました。それはまた、別の機会にお話ししたいと思います。
いずれにしろ、全ての教師に(それは事務職員も含めてなのですが)、差別的な(潜在)意識があったと言っているわけではありません。ただ気になるのは「教師だから差別はない」という意識なのです。確かに教師は「差別」を認めてはならないし、自らの言動自体もそうでなくてはならない存在です。しかし、当たり前のことですが「教師」という名称が差別意識の不在を証明するものではありません。時としてその違いが分かっていない「先生」に出くわしてしまうのは残念なことです。
私は定年退職するまでに6校を経験しました。転勤先の校長に面白い方がおりましたので、最後にその方をご紹介したいと思います。
初対面の印象では、威風堂々というか、職場ではかなり威張り散らしているという感じの方と私は思いました。職員の間でもそのように噂されていました。保護者はもちろん、近隣住民や町会長なども深々と頭を下げるほど「尊敬」されている方と思われていたのでした。教師たちも戦々恐々というふうで、触らぬ神にたたりなしと誰もが敬遠していましたから、統率が取れまとまりのある職場と思われていました。しかし、実態はそうではありませんでした。結果的には、そのしわ寄せが子どもたちにも及んでいたのです。外からの評判は極めてよかったのです、(私が)その学校に転勤すると言うと皆が口をそろえて、あそこはいい学校だと言っていたのでした。実際、中に入ってそうした評価の意味が皮肉な形で分かりました。私は他の職員のように従順ではありませんでしたが、「事務職員」だからそれができたのかも知れません。
いずれにしろ私が転勤した2年後、その方は定年で職場を退き、普通のおじさんになりました。ある時そのおじさんが、当時の威厳を保ちながら学校を訪れて来たのですが、もはや当時の「神通力」は全く通じなくなっていました。
案の定、多くの人は「校長」という役職にお辞儀をしていたのであり、敬意を払っていたのはその役職に対してだったのでした。ところが、当のご本人は(自分の)人格のしからしめるところと大いに勘違いしていただけだったのです。
当時の学校では、このような「裸の王様」も稀に(と思うのですが)目撃することができたのでした。
2014年4月30日
事務職員2年目に入った或る日、配属された学校の校長が市教委からの要請があったとして、「特殊学級」(今は特別支援学級と称されているようですが、当時はそのように呼ばれていました)を設置したいと職員会議に提案してきました。通り一遍の障害児教育の必要性を語った後、その校長は本校に空き教室ができるから是非市教委の要請を受け入れたいと結びました。私はこの会議でどんな議論が交わされるのか興味深く見守っていました。しかし、議論はおろか反対する意見もなく、賛成多数で可決するかに見受けられました。
因みに、当時の職員会議は当然ながら教師が主体でしたが、事務職員も参加することができました。「教員会議」ではなく職員会議だったのですが、事務職員や学校用務員が会議に参加し意見を述べることを快く思っていない教師もいたようです。当時の学校における最高議決機関は職員会議であると位置づけられていましたから、教師が職員会議に出ないのは言語道断とされたのですが、事務職員の場合は「どうぞご自由に」という寛大な(!)状態でした。
設置されたら、いずれその「特殊学級」の担任になるかもしれない教師たち、しかも当時のこの学校の教師は障害児教育の基本さえも学んできていない人たちばかり、あまつさえ空き教室ができたから設置するという安易さに、私はすこぶるつきの違和感を覚えたことを今でも思い出します。本当に必要なら、空き教室云々は関係ないのではないか、設置してしまったら今いる児童の中から「その子」を選別せざるを得なくなるし、その時点では責任を持って担当できる教師はいないのではないか等々、考えざるを得ませんでした。ところが、当事者であるはずの教師たちからは何の意見も質問も出されませんでした。
「次年度から特殊学級を設置する」と決定宣言される前に私は、悩んだ末思い切って手を挙げました。私自身は事務職員であるので、門外漢ではあるけれどもという前提で発言を求めました。空き教室ができたから設置するというのは本末転倒ではないか等々、私は疑問に思ったことを全て述べ、もっともっと議論すべきこと、しかも次年度からというのはあまりにも性急すぎることなどを述べたのでした。その結果、多数意見は逆転し「特殊学級」の設置はなくなりました。
実は、私が言いたいのはそのことではなく、その後のことなのです。
それまで私は学校というところに1年以上勤務し、圧倒的多数が教員という中で、私のような事務職員或いは学校用務員、給食調理員も含めて、誰もが平等にそして比較的「民主的に」共存共栄しているところと感じていました。
しかし今思えば、それは波風の立っていない平穏無事の状態だったからかも知れません。学校という場もさることながら、教師という職業柄「平等」は常に念頭に置かねばならない命題だったはずです。そうしなければならないという観念と、実態としてそうであることとの区別がついていなかったのは、この世界も同じことでした。隠された本音は意外なところで暴露されるものなのです。
私が「特殊学級」の設置に反対したことが、思いもかけないところで噂になっていたようなのです。伝え聞いただけで正確ではないかもしれませんが、「事務職員ふぜいが余計なことを言った」云々、要するに職員会議に出席させてやっている事務職員に重要な議題がひっくり返されてしまった、というような内容だったと思います。「事務職員」という職業を明らかに一段下に見ていたということでした。うすうすは感じていたことなのですが、この時はっきりと確認できたのでした。校長も(特に市教委に対して)自分の顔がつぶされたと感じていたのか、私に恨みがましいことを言ってきましたし、どういうわけか「部落」の問題まで持ち出し「寝た子を起こすな」が一番と声を大にしていました。とんでもない教育者です。
多分この件がなければ、温厚で善良な校長と思っていたことでしょう。この校長さん、よほど腹に据えかねたのか、区校長会の席でも愚痴っていたとのこと・・・。いずれにしろ、この件で問題になったのは障害児教育とは何なのかということでは全くなく、別の次元の問題としてこの件は雲散霧消してしまったのでした。そのことがあった2年後(この学校に勤務して4年後)に私は別の学校に転勤したのですが、それから間もなく「特殊学級」が設置されたと伝え聞きました。
私が当初抱いていた(辞めるかもしれないという)予感は外れ、紆余曲折はあったものの、結局、定年退職まで学校事務職員でいることができました。その間、一部教員集団の中に根差していたと思われる差別意識に触れることもしばしばありました。それはまた、別の機会にお話ししたいと思います。
いずれにしろ、全ての教師に(それは事務職員も含めてなのですが)、差別的な(潜在)意識があったと言っているわけではありません。ただ気になるのは「教師だから差別はない」という意識なのです。確かに教師は「差別」を認めてはならないし、自らの言動自体もそうでなくてはならない存在です。しかし、当たり前のことですが「教師」という名称が差別意識の不在を証明するものではありません。時としてその違いが分かっていない「先生」に出くわしてしまうのは残念なことです。
私は定年退職するまでに6校を経験しました。転勤先の校長に面白い方がおりましたので、最後にその方をご紹介したいと思います。
初対面の印象では、威風堂々というか、職場ではかなり威張り散らしているという感じの方と私は思いました。職員の間でもそのように噂されていました。保護者はもちろん、近隣住民や町会長なども深々と頭を下げるほど「尊敬」されている方と思われていたのでした。教師たちも戦々恐々というふうで、触らぬ神にたたりなしと誰もが敬遠していましたから、統率が取れまとまりのある職場と思われていました。しかし、実態はそうではありませんでした。結果的には、そのしわ寄せが子どもたちにも及んでいたのです。外からの評判は極めてよかったのです、(私が)その学校に転勤すると言うと皆が口をそろえて、あそこはいい学校だと言っていたのでした。実際、中に入ってそうした評価の意味が皮肉な形で分かりました。私は他の職員のように従順ではありませんでしたが、「事務職員」だからそれができたのかも知れません。
いずれにしろ私が転勤した2年後、その方は定年で職場を退き、普通のおじさんになりました。ある時そのおじさんが、当時の威厳を保ちながら学校を訪れて来たのですが、もはや当時の「神通力」は全く通じなくなっていました。
案の定、多くの人は「校長」という役職にお辞儀をしていたのであり、敬意を払っていたのはその役職に対してだったのでした。ところが、当のご本人は(自分の)人格のしからしめるところと大いに勘違いしていただけだったのです。
当時の学校では、このような「裸の王様」も稀に(と思うのですが)目撃することができたのでした。
2014年4月30日
差別・排外主義に反対する連絡会 K
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