2014年10月22日水曜日

【10.5Actionの報告】

許すな!差別排外主義 10.5 ACTION

~生きる権利に国境はない! 私たちの仲間に手を出すな!~


 差別・排外主義に反対する連絡会は、別掲の9・21集会とワンセットでこの日のデモを企画した。あいにくの大型台風が接近し、前夜からの土砂降りの雨を突いて、100名に及ぶ人たちが参加した。
10.5Actionビラ日本語版10.5Actionビラ・ハングル版

 主催者発言-差別・排外主義に反対する連絡会の結成以来、重要な柱として、攻撃を受けている当事者とどう繋がっていくのか、私たちの役わりは何か、自分たちの中にある差別意識を抉り出し、捉えかえそうとしてきた。
集会の前日には、デモの趣旨を書いたビラを持って職安通りデモコースの店1軒1軒を訪ね、私たちの声を届けて来た。何軒かの店では、「配るから何枚か置いて行って欲しい」という熱い申し出もいただいた。
ヘイト・スピーチに対する国連の勧告が出るなど一定の反撃が行われているが、朝日新聞バッシングや元記者への脅迫、レイシズムの嵐が続いている。又、カウンターの中にもある女性差別的傾向やナショナリズム的傾向については共に議論し、捉えかえしていかねばならない。歴史に耐えうる行動、社会的包囲網を作り、地域に声を届けていきたい。
 
 次に、いくつかの団体から、連帯の挨拶をいただいた。
 高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会-朝鮮学校だけが、高校無償化から排除されて3年半。高校生62人が勇気を持って、国賠訴訟に踏み切ってくれた。先日行われた第3回口頭弁論で、弁護団長が、「人種差別撤廃委員会から厳しい勧告が出ている中で、世界が注目している裁判であることを忘れないで欲しい。この高校生たちが、なぜ排除されているのか。その事にきちんと答えうる裁判にして欲しい」と、諭すようにもの静かに語った。裁判長はじっと聴いていた、と報告した。
 反天皇制運動連絡会-右翼が政権中枢を占めている中で、警察や軍隊の役割が強くなっている。昨年の国家秘密法以降、警察の捜査への批判が強まる中、それをひっくり返して、情報を集中させる仕組みを拡大しようとしている。これに対抗する地道な活動を行っていきたい。敗戦の「詔勅」でヒロヒトは、「国体が維持された」と言っている。日中戦争の最中、あらゆる運動を叩き潰して来た治安維持法に、37年、「国体の本義」を確定させ、それを引き継いで戦後が出発している。だからこそ、天皇制、思想管理と闘っていきたい。
 米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する荒川・墨田・山谷&足立実行委員会-2000年、石原都知事のビッグレスキュー以降、防災訓練に反対し続けて来た。高校生の自衛隊宿泊訓練や、「職場体験」と称する入隊など、当事の衝撃が今では当たり前になっている。関東大震災時の朝鮮人虐殺を許さず、排外主義と闘って行く、と決意を述べた。
 「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会-政府が、「従う義務は無い」と、従来の姿勢に終始している中、勧告を生かすも殺すも、私たち次第である、と訴えた。
 争議団連絡会議-「一人の首切りも許さない。現場に戻る」事をモットーに、中には40年闘っている人もいる争議団で構成されている。現在、経営者の自宅への団交要求行動に対して「1日当たり20万から100万円を経営者に支払え」という裁判所の決定が出される中で闘っている。安倍政権が戦争のできる国家へ突き進む中、国民の考え方の根底にある差別・排外主義と闘っていきたい。
 
 集会終了後、デモに出発した。デモは、柏木公園から新宿の繁華街を通り、悪天候にもかかわらず4㎞近いコースを意気軒昂に貫徹した。沿道の注目を浴びビラの受け取りも良かったことも併せて報告しておきたい。

差別・排外主義にNO! 第3回討論集会の報告


<在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?

 このたび、差別・排外主義に反対する連絡会主催による「9.21差別・排外主義にNO!第3回討論集会」を東京・文京区民センターで開き、約100名の参加を得ました。昨年12月の「2013年を振り返って-何が起こっているのか?何が問題なのか?」、今年2月の「攻撃された当事者は何を思う?私たちはどう繋がるか?」に引き続き、今回のテーマを「<在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?」とし、長年にわたって取材を続けてきたジャーナリストの安田浩一さんからの報告と、在特会からの攻撃のターゲットとされる運動を担ってきた方々によるパネルディスカッションを集会の柱としました。
 まず司会が、連絡会の簡単な紹介とこの間の情勢を概括し、在特会の攻撃対象が在日外国人から反原発・天皇制・生活保護・部落問題・等と様々な分野へと広がっている状況の中で運動側の横の連携が不十分ではないかとの懸念を示し、相互認識を深め模索しながらも連帯しながらそれぞれの運動を広げていきたいと、本集会の趣旨を語りました。

 集会の第一部は「報告 <在特会>が憎悪の対象とする人々」として安田浩一さんからお話をしていただきました。
 これまで在特会の話は十分にしてきたとしながら、まずは在特会をご自分にとっての大きな取材テーマとした発端から話してくださいました。
 「様々な局面で外国人問題を取材してきたが、その中に研修生・実習生の存在があった。制度の理念としては外国と日本の交流やら技術移転やらがあったが、実際には低賃金の出稼ぎ労働者という存在。しかも研修生・実習生とすることで労働者ですらない。正当な労使関係を結ぶ必要がない支配・従属の関係でしかない奴隷的立場に置かれている。法的最低賃金は保障されず、パスポートも預金通帳も帰国まで雇用者が預かる。就業の際の同意書には、雇用者に逆らえば直ちに強制帰国させるという項目がある。訪日の際には保証金等が必要で借金を抱えているので帰国の危険は冒せない。労働運動への関与の禁止のみならず、携帯電話所持禁止・ネットカフェ等インターネット環境への接触禁止・恋愛禁止・等々まである。
 大きくはグローバルな新自由主義的経済構造の中で起こっていること。大企業の下請けの中小零細企業は生き延びるためにこの制度に飛びつく以外にない。とは言え、労基所への密告の報復として全員に往復ピンタを食らわせる場面も目撃したことがあるが。中国にある日本へ行くための研修学校の取材では、根性・忍耐・従順さを叩き込んでいるという説明を受けたこともある。
 帰国直前に貯金額が予定額に達していないと知らされて帰国を拒んで逃亡した中国人がいた。彼は各地を転々としながら職を得る中で、職務質問を避けようとした挙句に警察官に射殺された。これに対して遺族が国賠訴訟を起こした。この提訴に対して後に在特会へと合流する(現在は断絶)西村修平なる人物がネット上から呼びかけて、裁判所前でヘイト攻撃が展開された。これが自分と在特会的存在との出会いだった」
 「そもそも在特会だけが問題なのではなく、社会に在特会的な空気が蔓延していることが問題。元朝日新聞記者の再就職先にクレームを入れて解雇に追い込むのみならず家族までもターゲットにする。韓国ドラマを放映するフジテレビ・そのスポンサーの花王・反ネット上のデモを根拠に反日韓国人に仕立て上げられた女優をCMに起用したロート製薬も攻撃されるという状況。
 お笑い芸人が発端として発生した生活保護問題も在日問題と絡める形で拡大していった。行政への密告が増大し、それに迎合して密告ホットラインを設置した自治体が12はある。外国人の生活保護受給は行政措置とした最高裁判決は、ネット上では違憲判決が出たと捻じ曲げられている。
 水俣病患者、ハンセン病患者、広島・長崎の被爆者までもが攻撃を受けている。」
 「こういうバッシングが運動として広がっていってしまっている。今まで、運動と言えば、それは権利を勝ち取るための運動だった。それに対して、これらは権利があると思う人を引き摺り下ろす運動としてある。戦後民主主義の中でぎりぎり勝ち取ってきた僅かなものを奪い取ろうとする。
 これには彼らが抱く喪失感・奪われた感が根拠としてあると思う。しかし、彼らはその解決のために強い方には矛先を向けない。例えば、年間3万の自殺者のうち2万人が経済的理由による。これを福祉の貧困と捉えて改善を求めるのではなく、在日外国人が生活保護を独占しているのが原因であるというデマに飛びつき弱者に憎悪を向け攻撃する。
 また、このように敵を発見して叩くのが目的化もしている。ありもしない在日特権がネット上で捏造されているのが好例。」
 「被害者が受ける傷みを切実には理解していないと弾劾された経験がある。被害者が存在し、更に日々生み出されていること、当事者の受ける切実性を感じる必要がある。解決の努力を当事者のみに任せておいてはいけない。こういう社会をどう変えていくかの議論が必要。」
 様々な具体的事例を挙げながら深刻な状況を語られ、
 「表現の自由は間違った対置がなされている。表現の自由を奪われているのは弱者の方。沈黙を強いられているのは攻撃されている側。
 ヘイトスピーチは『言葉の暴力』ではなく、単なる『暴力』」と締め括りました。

 第二部のパネルディスカッションを開始する前に、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会にお話しいただきました。 
 「安倍のひどさは皆感じているだろうが、在日の人々はどれだけ長期間にわって差別の中で生きてきたかを考えて欲しい。昨年の国連人権勧告に対して、文科省は罰則規定がないからと一顧だにしなかった。他の課題についても政府はすべて同様な態度を取った。今回出た勧告でも政府が態度を変える展望はない。これに対して市民運動を大きく作る必要があると、諸課題を担う人々が共同で闘う体制が実現し、集会・デモを開催している。また、無償化排除に対して高校生が原告となった裁判も始まっている。」と切実な報告と闘いの必要性が提起されました。

 休憩を挟んで第二部のパネルディスカッションに移りました。
 
司会によるパネラー紹介の後、それぞれに語っていただきました。
 部落解放同盟奈良県連からは、まず水平博物館への差別街宣と裁判の概要が語られました。そして、博物館を被害者とすることで裁判には勝ったが、差別街宣自体は刑事罰にならないこと、不特定多数への差別発言は名誉毀損や侮辱罪が適用困難なこと、法務局の対応が何の効果もない形ばかりの物だったこと等、問題点も多く残されたとも。また、奈良の排外主義的動向について、「慰安婦」問題や住民投票に取り組んでいた議員や委員に対する自宅街宣でノイローゼから辞職に陥れた事例、排外主義企画への公共施設使用許可取消し要求が却下された顛末、強制連行や慰安所に関する公共の掲示板を天理市が撤去したことへの取り組みと共に、休校になっていた朝鮮学校がまずは幼稚部から再開する運びになったことを報告した。

 反天皇制運動連絡会は、冒頭に「これまでの発言を聞いて、攻撃されている被害者といっても自分たちは同列ではないことを思い知らされた」と表明。デモが受けている攻撃の状況を報告する中で、在特会は街宣右翼ほどの思想を持たずに「ハンテンレン」という記号を攻撃しているだけだが、現場での行動・体験により内面化していく部分もあると注意を喚起。デモに対する激しい攻撃を加える街宣右翼結集の形を作ったのが在特会だったと、その存在の社会的問題性を指摘。天皇制批判の言論を拡大し、その観点から排外主義を問題にしていきたいと語った。また、ヘイトスピーチの法的規制について、現在は在特会寄りになっている警察の恣意性を制約する意味があると提起。表現の自由一般を問題にするのではなく、内容的に議論していくことが重要と訴えた。

 脱原発テントひろばは、まずテントをメインターゲットとして攻撃しているのは街宣右翼ではなく在特会と報告(街宣右翼は別なメインテーマのついでにテントを扱うだけ)した。彼らの持つ暗い雰囲気と凡庸さの中にある理解不能な凶暴性を人間の本質から捉え返す必要があるのではと提起。自民党の中に広がる安倍に異論を出さず大勢に従う空気が市民社会に広がる可能性、異物を見つけ出し攻撃対象に仕立て上げることが大衆運動として成功していること、の危険性を指摘した。

 「慰安婦」問題に取り組む女たちの戦争と平和資料館は、在特会が登場する以前から政治家やメディアを通したヘイトがあったこと、その中で資料館の設置場所も慎重に考慮したことを紹介した。そのため現在、在特会は集会を開催する施設やそこに入っている無関係のテナントに攻撃をかける手法が主となっていて、そのために行政や政治家が二の足を踏むようになるのではないかとの危惧を表明。弁護士をそろえると共に闘える人を揃える必要があると確認。一方、若い人が最初に誰と出会うのか、最初に出会ったのが在特会という若者が多いのではないか、と運動の拡大の必要性をあらためて確認した。

 パネラーの最後に差別・排外主義に反対する連絡会メンバーから。攻撃する側が在日から生保・沖縄・等々と課題を広げる中で、シングルイシューで対抗できるのか、ターゲットにされた人たちが孤立しない様な連帯関係を作る必要があり、在特会に対する社会的包囲網を作っていきたい、またそれが反安倍の大きな体制にも繋がっていくと展望。在特会に対するカウンター勢力の大衆性を評価する一方で、散見される差別的姿勢・自己を日本人として肯定する前提等の克服課題の存在を指摘。検討課題として、法制化・国連勧告の認知度・表現の自由・グローバリズムや格差の拡大を通した国家への服従を要求する動き・等々を揚げ、これらを分析して捉えながら連帯・共闘するための議論の場として本集会があり、少しずつ入口をひろげているのではないかとの自負を表明した。

 最後に会場からの質問にまとめて回答する形で、安田さんから。安倍内閣は、在特会的空気をまとい、在特会的な者が在籍し、在特会を肯定している、そういう内閣として認識する必要性があると提起。レイシストとして生まれる者はいないが被害者意識に陥りやすい人はいる、最初の出会いが重要であり、その意味で情報を与えているメディアと政府の責任は重いと指摘。生保の受給率は減っている(受給者数は増えているが)・補足率も成果的に見て低い・不正受給はわずか0.38%で最大要因が高校生のアルバイト・外国人犯罪で犯罪件数が増えているというのも事実は逆・等、ネットのデマに対抗して繰り返し正確な情報を伝えていく必要を訴えた。

 司会から、これからの議論の必要性をあらためて訴え、本集会がその足がかりになったと確認しました。また、10月5日のデモへの参加を要請させていただき、交流会へと移行しました。

 

2014年9月28日日曜日

許すな! 差別・排外主義 10.5ACTION


生きる権利に国境はない! 私たちの仲間に手を出すな!

10.5Actionビラ日本語版10.5Actionビラ・ハングル版

【日時】2014年10月5日(日)
13時30分集合、14時30分 デモ出発
【場所】柏木公園(西新宿)
JR新宿西口より7分 地図はこちら

私 たち差別・排外主義に反対する連絡会は、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件とそれに対するカウンター行動の教訓をきっかけに活動を立ち 上げてきました。カウンター行動と攻撃を受けている当事者とがどう結びつき、当事者にもたらす結果に対する責任をどう引き受けていくのか、また、レイシス トとの直接的対峙のみを自己目的化するのではなく、差別・排外主義的思想や風潮を醸成してきた歴史(観)そのものを対象化し、その根拠を払拭していく作業 を通して初めて、差別・排外主義と対決していく社会的包囲網の形成が可能になる、と考えて活動をしてきました。
 毎年秋には、「許すな!差 別・排外主義 ~生きる権利に国境はない!われわれの仲間に手を出すな!~」をスローガンとして、地域デモを積み重ねてきています。今年は10月5日に新 宿地域デモを行います。より大きな、そして歴史に耐えうる行動と世論・社会的包囲網の形成に向けて、ぜひ一人でも多くの仲間がともに考え、行動に参加して いただけることを訴えます。

10.5 ACTIONへの参加・賛同呼びかけ

 昨年は、新大久保を初めとして、差別・排外主義者らのヘイトスピーチ・デ モに対する抗議の声が大きな広がりを見せました。在日を含む地域住民による署名活動などの取り組み、国会審議での有志議員による追及や院内集会開催、12 人の弁護士による人権救済申し立て、ジャーナリスト・著名人による社会問題化等、ヘイトデモへの直接の抗議や監視、世論や社会的包囲網の形成において、大 きな前進を目の当たりにすることができました。
 また、今年7月8日には、大阪高裁における「京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判」控訴審の 勝訴判決が勝ち取られ、「在特会の行為は人種差別撤廃条約が禁じた人種差別に基づく違法行為である」と断じた京都地裁勝訴判決より一歩踏み込み、民族教育 や私人間の条約適用に言及した判決が出されました。さらに、7月、国連自由人権規約委員会が、在日韓国人らに対する「ヘイトスピーチ」に懸念を示し、これ まで以上に厳しい態度で、差別をあおる全ての宣伝活動の禁止を勧告しました。
 私たちは現時点において、日本における在特会等の差別・排外主義者の台頭と跳梁跋扈に対し、ぎりぎりのところで対抗ラインを作り出してこれたのではないかと思います。
  しかしその一方で、朝鮮学校を「高校無償化」の対象から除外するに留まらず、それと連動して補助金を打ち切る自治体が続き、小学校に配布していた「防犯ブ ザー」の支給を市が打ち切る(後に撤回し配布)という事態が進行してきました。沖縄県八重山地区などでの差別・排外的歴史教科書の採択強制、朝日新聞の検 証記事を捻じ曲げた「従軍慰安婦」問題における歴史的事実の否定と居直り、何より靖国参拝や教育への国家の右翼的介入、尖閣諸島をめぐる領土問題、秘密保 護法強行制定と集団的自衛権容認等、改憲・戦争する国づくりへと暴走する安倍内閣が高い支持率を保っている原因をこそ、問題としなくてはなりません。
  私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件とそれに対するカウンター行動の教訓をきっかけに活動を立 ち上げてきました。カウンター行動と攻撃を受けている当事者とがどう結びつき、当事者にもたらす結果に対する責任をどう引き受けていくのか、また、レイシ ストとの直接的対峙のみを自己目的化するのではなく、差別・排外主義的思想や風潮を醸成してきた歴史(観)そのものを対象化し、その根拠を払拭していく作 業を通して初めて、差別・排外主義と対決していく社会的包囲網の形成が可能になる、と考えて活動をしてきました。
 当事者の要請に基づく集 会・デモなどの防衛・監視行動、新大久保商店街や攻撃のターゲットになっている地域でのビラまきや話し込み、差別・排外主義に反対する討論集会やデモ、日 常的な当事者との交流の追求などを積み重ねてきました。カウンター行動ではチラシを用意して現地の商店街や通行人に配布しながら、ヘイトデモを包囲・追走 してきました。
 こうした中で、残念ながらカウンター行動の中にも、ナショナリズム的な排外傾向や女性差別的な表現、差別に対して差別で対 抗するかのような行動が見受けられることに、私たちは危機感を感じてきました。これでは差別の根っこを断ち切り、差別・排外主義的歴史(観)を克服するこ とはできない、新たなナショナリズムとレイシズムの嵐に対抗できない、と思います。
 この間、私たちは、上記の問題意識に基づき、さまざま な仲間たちとともに考え意見を交わしたいとの思いから、連続討論集会を開催してきました。9月21日には、「在特会はなぜこうした人々を憎悪するのか?」 と題して第3回の討論集会を開催します。また、毎年秋には、「許すな!差別・排外主義 ~生きる権利に国境はない!われわれの仲間に手を出すな!~」をス ローガンとして、地域デモを積み重ねてきています。
 今年は10月5日に新宿地域デモを行います。より大きな、そして歴史に耐えうる行動と世論・社会的包囲網の形成に向けて、ぜひ一人でも多くの仲間がともに考え、行動に参加していただけることを訴えます。
 多くの皆さんの10.5 ACTIONへの参加・賛同をお願いします。

○ 10月5日(日) 13時30分集合 14時30分~デモ出発
○ 会場:新宿・柏木公園 (JR新宿西口より7分)


差別・排外主義に反対する連絡会 Email: hannhaigaisyugi@gmail.com
郵便振替口座:00200‐5‐38572 差別・排外主義に反対する連絡会
(ATMで振込の場合、口座名義人が「フォーラム S―16 」と表示されます)
以下をコピーいただいてメールで hannhaigaisyugi@gmail.com 宛てお送りいただいても結構です。


10.5 ACTION に賛同します。

団体(1口 1000円)
○名称:
○口数:     口
個人(1口 500円 差支えなければ肩書きもお願いします)
○お名前:                (     )
○口数:     口
公表   <可 不可>  (どちらかお選びください)
“公表可”として戴いた方につきましては、後日、紙上等で報告させていただきます。
(ネット上では公表しません。)

2014年8月17日日曜日

9.21差別・排外主義にNO! 第3回討論集会


9.21差別・排外主義にNO! 第3回討論集会

<在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?

 私たち連絡会は、この間、お互いの意見や経験を共有、深化する場として連続討論集会を開催してきました。(第1回:「2013年を振り返ってー何が起こっているのか? 何が問題なのか?」。第2回:「攻撃された当事者は何を思う? 私たちはどう繋がるか?」)
 今回は、この国の歴史と現実に真正面から向き合い、異議の声をあげている故に、<在特会>の攻撃のターゲットになっている運動を担う方々とともに、上記テーマによるパネルディスカッションを行います。
 活発な討論を通して、より一層の広範かつ内実のある社会的包囲網の形成を、ともに獲得していきたいと思います。
 皆さん、ぜひご参加ください。

【日時】2014年9月21日(日)
(13時15分開場、13時30分開始) 
【場所】文京区民センター 2A会議室 
(都営三田線/大江戸線春日駅A2出口 徒歩0分)

第一部 報告 <在特会>が憎悪の対象とする人々
          講師:安田浩一さん
第二部 討論 差別・排外主義をどう捉え、対決するか?
         それぞれが、いかに結びつき、反撃するか?

パネルディスカッション
          部落解放、反天皇制、反原発、生活保護バッシング、
          差別・排外主義に反対する連絡会、など、各運動から
 
※資料代 500円   ※集会終了後、同会場にて交流会を行います。

2014年5月13日火曜日

Column 公立学校の職員だった頃

 1976年4月、私はある政令指定都市の学校事務職員になりました。当時は終身雇用という考えが当たり前の時代でしたが、それまで私は頻繁に職業を変えていました。年齢も30歳に手の届くほどになっていましたが、1年以上続いた仕事はなく、この事務職員という仕事も長続きできる自信はありませんでした。事務の仕事は初めてだったということもありましたが、それ以上に社会に馴染めない性格と諦めていたからでした。それまでの勤続最長記録が10か月でしたから、この事務職員という仕事が1年続いた時は、我ながら感心してしまいました。
 事務職員2年目に入った或る日、配属された学校の校長が市教委からの要請があったとして、「特殊学級」(今は特別支援学級と称されているようですが、当時はそのように呼ばれていました)を設置したいと職員会議に提案してきました。通り一遍の障害児教育の必要性を語った後、その校長は本校に空き教室ができるから是非市教委の要請を受け入れたいと結びました。私はこの会議でどんな議論が交わされるのか興味深く見守っていました。しかし、議論はおろか反対する意見もなく、賛成多数で可決するかに見受けられました。
 因みに、当時の職員会議は当然ながら教師が主体でしたが、事務職員も参加することができました。「教員会議」ではなく職員会議だったのですが、事務職員や学校用務員が会議に参加し意見を述べることを快く思っていない教師もいたようです。当時の学校における最高議決機関は職員会議であると位置づけられていましたから、教師が職員会議に出ないのは言語道断とされたのですが、事務職員の場合は「どうぞご自由に」という寛大な(!)状態でした。
 設置されたら、いずれその「特殊学級」の担任になるかもしれない教師たち、しかも当時のこの学校の教師は障害児教育の基本さえも学んできていない人たちばかり、あまつさえ空き教室ができたから設置するという安易さに、私はすこぶるつきの違和感を覚えたことを今でも思い出します。本当に必要なら、空き教室云々は関係ないのではないか、設置してしまったら今いる児童の中から「その子」を選別せざるを得なくなるし、その時点では責任を持って担当できる教師はいないのではないか等々、考えざるを得ませんでした。ところが、当事者であるはずの教師たちからは何の意見も質問も出されませんでした。
 「次年度から特殊学級を設置する」と決定宣言される前に私は、悩んだ末思い切って手を挙げました。私自身は事務職員であるので、門外漢ではあるけれどもという前提で発言を求めました。空き教室ができたから設置するというのは本末転倒ではないか等々、私は疑問に思ったことを全て述べ、もっともっと議論すべきこと、しかも次年度からというのはあまりにも性急すぎることなどを述べたのでした。その結果、多数意見は逆転し「特殊学級」の設置はなくなりました。
 実は、私が言いたいのはそのことではなく、その後のことなのです。

 それまで私は学校というところに1年以上勤務し、圧倒的多数が教員という中で、私のような事務職員或いは学校用務員、給食調理員も含めて、誰もが平等にそして比較的「民主的に」共存共栄しているところと感じていました。
 しかし今思えば、それは波風の立っていない平穏無事の状態だったからかも知れません。学校という場もさることながら、教師という職業柄「平等」は常に念頭に置かねばならない命題だったはずです。そうしなければならないという観念と、実態としてそうであることとの区別がついていなかったのは、この世界も同じことでした。隠された本音は意外なところで暴露されるものなのです。
 私が「特殊学級」の設置に反対したことが、思いもかけないところで噂になっていたようなのです。伝え聞いただけで正確ではないかもしれませんが、「事務職員ふぜいが余計なことを言った」云々、要するに職員会議に出席させてやっている事務職員に重要な議題がひっくり返されてしまった、というような内容だったと思います。「事務職員」という職業を明らかに一段下に見ていたということでした。うすうすは感じていたことなのですが、この時はっきりと確認できたのでした。校長も(特に市教委に対して)自分の顔がつぶされたと感じていたのか、私に恨みがましいことを言ってきましたし、どういうわけか「部落」の問題まで持ち出し「寝た子を起こすな」が一番と声を大にしていました。とんでもない教育者です。
 多分この件がなければ、温厚で善良な校長と思っていたことでしょう。この校長さん、よほど腹に据えかねたのか、区校長会の席でも愚痴っていたとのこと・・・。いずれにしろ、この件で問題になったのは障害児教育とは何なのかということでは全くなく、別の次元の問題としてこの件は雲散霧消してしまったのでした。そのことがあった2年後(この学校に勤務して4年後)に私は別の学校に転勤したのですが、それから間もなく「特殊学級」が設置されたと伝え聞きました。

 私が当初抱いていた(辞めるかもしれないという)予感は外れ、紆余曲折はあったものの、結局、定年退職まで学校事務職員でいることができました。その間、一部教員集団の中に根差していたと思われる差別意識に触れることもしばしばありました。それはまた、別の機会にお話ししたいと思います。

 いずれにしろ、全ての教師に(それは事務職員も含めてなのですが)、差別的な(潜在)意識があったと言っているわけではありません。ただ気になるのは「教師だから差別はない」という意識なのです。確かに教師は「差別」を認めてはならないし、自らの言動自体もそうでなくてはならない存在です。しかし、当たり前のことですが「教師」という名称が差別意識の不在を証明するものではありません。時としてその違いが分かっていない「先生」に出くわしてしまうのは残念なことです。

 私は定年退職するまでに6校を経験しました。転勤先の校長に面白い方がおりましたので、最後にその方をご紹介したいと思います。
 初対面の印象では、威風堂々というか、職場ではかなり威張り散らしているという感じの方と私は思いました。職員の間でもそのように噂されていました。保護者はもちろん、近隣住民や町会長なども深々と頭を下げるほど「尊敬」されている方と思われていたのでした。教師たちも戦々恐々というふうで、触らぬ神にたたりなしと誰もが敬遠していましたから、統率が取れまとまりのある職場と思われていました。しかし、実態はそうではありませんでした。結果的には、そのしわ寄せが子どもたちにも及んでいたのです。外からの評判は極めてよかったのです、(私が)その学校に転勤すると言うと皆が口をそろえて、あそこはいい学校だと言っていたのでした。実際、中に入ってそうした評価の意味が皮肉な形で分かりました。私は他の職員のように従順ではありませんでしたが、「事務職員」だからそれができたのかも知れません。
 いずれにしろ私が転勤した2年後、その方は定年で職場を退き、普通のおじさんになりました。ある時そのおじさんが、当時の威厳を保ちながら学校を訪れて来たのですが、もはや当時の「神通力」は全く通じなくなっていました。
 案の定、多くの人は「校長」という役職にお辞儀をしていたのであり、敬意を払っていたのはその役職に対してだったのでした。ところが、当のご本人は(自分の)人格のしからしめるところと大いに勘違いしていただけだったのです。
 当時の学校では、このような「裸の王様」も稀に(と思うのですが)目撃することができたのでした。

2014年4月30日

差別・排外主義に反対する連絡会 K

2014年3月12日水曜日

4.13差別・排外主義にNO! 第2回討論集会


4.13差別・排外主義にNO! 第2回討論集会

~ 攻撃された当事者は何を思う?  私たちはどうつながるか? ~

本年2月25日岩波書店より『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件 - 〈ヘイトクライムに抗して〉』が刊行されました。著者の中村一成さんが、当事者のみなさんが「何を思い、何を考えた」のか、取材を重ね文章に紡いで下さいました。
私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、著者のジャーナリスト中村一成さんと弁護士の金哲敏さんをお招きして「私たちの仲間の思いをたどる」場を企画します。皆さん、ぜひご参加ください。

【日時】2014年4月13日(日)
(13時15分開場、13時30分開始) 
【場所】文京区民センター 2A会議室 
(都営三田線/大江戸線春日駅A2出口 徒歩0分)

第一部 報告 攻撃された当事者は何を思う?
 中村 一成さん(ジャーナリスト)
 金哲  敏さん〈弁護士〉

第二部 討論 私たちはどうつながるか?
パネルディスカッション
              中村 一成さん、金哲敏さん
       差別・排外主義に反対する連絡会、他

 ※資料代 500円
 ※集会終了後、同会場にて交流会を行います。
      おいしい料理付きで、飲食代込み2000円です。ふるってご参加ください。
   ★持ち込み大歓迎です。

2014年3月11日火曜日

Column No.04  「職に就くということ」 By でもしか

 2010年の秋、ある在日コリアンの団体が主催する講演集会で目にした光景です。その集会は、在日朝鮮人の人権の現状と課題を考える集まりだったのですが、集会の終り頃、壇上に若い弁護士数人が登壇しました。そして、司会者から「今年から弁護士になったメンバーです」と、一人づつ紹介されていました。
 学生からすぐに司法修習に入った人達なのでしょう、みんな20代と半ばと思われる若さで、初々しさが漂っています。
 それぞれ挨拶するのですが、みんな異口同音に「同胞のために頑張る」ということを発言します。その挨拶に、会場からは大きな拍手と、「頑張れ!」「頑張って!」の掛け声が何人もの人から飛びます。ものすごい熱気でした。若い弁護士達への熱い想いが、ビリビリと伝わってきました。
 ああ、何とうらやましい光景でしょう。就職する時に、こんなに多くの人達から祝福され、そして期待される ‥‥自分が職に就くということが他人のためになるのだということを、この若い弁護士達は肌身で感じたはずです。こんな体験をできる日本人はめったにいません。日本人の場合は、祝福されたとしても、せいぜい家族や友人レベルですから。
 「同胞のために頑張る」という挨拶の言葉に思います。彼・彼女らが弁護士になったのは、「社会のため」「人権のため」という抽象的な動機からではないのです。彼・彼女らの目には「同胞」(いうまでもなく在日コリアンです)という明確な人々の姿と生活が映っているはずです。自分は何のために働くのかが、はっきりとしています。どんなにやりがいのある仕事になることでしょう。たいした目的意識もなく、なんとなく流されて無難な就職をしたわが身をあらためて振り返ります。

 一方でこの光景の裏側には、在日コリアンが置かれた人権状況のひどさがあることを思います。それだから弁護士にあれだけの熱い期待を寄せざるをえない。そう読み変えてみると、これからこの若い弁護士達が直面するであろう多くの醜い現実を作ってしまっている側の人間として、いろいろ考えさせられます。ただ感動しているだけではいけないなあと。

2014年1月13日月曜日

未来への橋頭保―2013年 差別・排外主義にNO!12.8討論集会報告

未来への橋頭保―2013年
差別・排外主義にNO!12.8討論集会報告
<2013年 新大久保・京都判決を振り返って―何が起こっているのか?何が問題なのか?>
 2013年12月8日、東京・新大久保カウンター行動と京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判(以下、「京都裁判」)の2つの闘いを中心にして反レイシズム闘争の現状を考える標記集会を開きました。プログラムは次の通りです。

<第一部 報告>
・新大久保カウンター行動について

金展克さん(新大久保でのカウンター行動やヘイトスピーチデモの排除を訴える署名活動等を展開)
・京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判について
金尚均さん (龍谷大教員、裁判闘争を中心で担う)
・2000年以降の差別・排外主義の動向とその背景
当連絡会メンバーFG
・2009年蕨事件以降の連絡会の取り組みと具体的問題
当連絡会メンバーMY
・各報告を受けて
鵜飼哲さん(『インパクション』編集委員)

<第二部 パネルディスカッション>
[排外主義勢力との対決と社会的包囲網/攻撃にさらされながら闘う人々との連帯の方法/排外主義廃絶のための法的規制などをめぐって]

パネリスト:金展克さん/金尚均さん/鵜飼哲さん/当連絡会メンバーFG/当連絡会メンバーMY
 
 新大久保カウンター闘争はレイシストのヘイトデモを中止に追い込み、京都裁判闘争は京都朝鮮学校へのヘイトスピーチが民族差別に基づく不法行為であるとの認定と街宣差し止めの判決を引き出しました。東と西で2013年に大きな成果を勝ち取ったこの2つの闘いの取り組み過程と意義について、金展克さんと金尚均さんから語っていただきました。そこからは、在日コリアン当事者の苦闘が大きな運動陣形へ拡大していった様子がわかりました。そしてお二人のお話からは両者がお互いに励まし合うものだったということがわかるとともに、それぞれの成果を今後の闘いに活かしていく道筋を見ることができました。

<重層的な闘い-新大久保カウンター闘争>
 「在日特権を許さない市民の会」(以下「在特会」)を始めとするレイシストの新大久保デモは、2012年までは「お散歩」と称して商店街を練り歩いて店や店員に暴力をふるうというやりたい放題の状況でした。それに対して、2013年になってカウンターが始まります。
あまり知られていないことですが、1月のKポップファンによる在特会への抗議メールの集中が出発点でした。それが街頭での直接抗議の誕生につながったそうです。
 街頭でのカウンター行動は2月9日の「しばき隊」の登場から始まりますが、「プラカ隊」「知らせ隊」「ドラム隊」「ダンス隊」など、さまざまな表現方法を取る人達が集まって多様なスタイルをとりつつ、人数が一気に膨れ上がっていきます。そして、6月30日には出発地点の公園を包囲してデモをさせない闘いが呼びかけられ、2,000~2,500人が参加しました。デモそのものを阻止することはできなかったものの、初めてデモコースから大久保通りをはずさせることに成功します。そしてついに、7月7日のデモを中止に追い込んだのです。
 中止に追い込んだものは何か? 金展克さんは、いろいろな要素が合わさった結果と分析します。2月から7月までのいろいろな取り組みを時系列的に説明して下さったのですが、並行して進められたいろいろな取り組みが、時を追うごとにお互いを強めていった過程がよくわかりました。
 大久保地域住民は、デモコースから新大久保地域をはずすように在特会に行政指導をすることを求める署名運動を始めます。これは、15,000筆を超えました。3月上旬には有田芳生参議院議員が中心になって参議院で院内集会を開催し、同下旬には12人の弁護士が人権救済を申し立てます。これをきっかけにマスメディアが事態を取り上げ始めます。3月31日のカウンターでは、大久保通りに設置された商店街の大きなメッセージビジョンで、9人の著名人がヘイトスピーチ反対を訴えました。5月上旬には第2回の院内集会を開催するとともに、参議院の予算委員会・法務委員会で総理大臣と法務大臣に国会質問。安倍首相は「きわめて残念」と答弁。
 5月下旬、国連人権理事会勧告が出されるとともに日本弁護士連合会会長が声明発表。これには勇気づけられたという金展克さん。6月、第3回の院内集会が開催されるとともに、署名活動第2弾として、公園使用許可を出さないことを新宿区に求める署名活動を大久保地域住民が始めます。そして7月1日の日韓外相会談では、韓国の外相が新大久保の事態について言及して、ついに「国際問題」になります。これにも勇気づけられたとのことです。
 現場カウンター闘争が半年間で一気に社会的包囲による闘いへと拡大していく経過が、金展克さんのお話からよくわかりました。

<京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判が切り開いた論理的地平>
 新大久保を始めとする各地のカウンター闘争は、京都裁判の闘いを支えました。「カウンターが出現することで自分達は精神的に安定しリラックスできた」というのは金尚均さんの言葉。お話によると、2009年12月4日から翌年3月28日までの在特会による3回の学校襲撃時は、保護者と一部の関係者だけで対応せざるをえなかった。「相手にするな」という声も多かったそうです。襲撃を警察は見ているだけで止めないし、裁判所から出された示威活動禁止の仮処分も無視される。警察も司法も自分達を守らないという絶望感の中、孤独な闘いを強いられたといいます。
 しかし、刑事告発に赴いた警察署で告発書の受け取りを拒否するかのような露骨な妨害に遭うという事態に直面して、“民族教育の機会を奪おうとする動きに対しては何としても闘わなければいけない”という強い思いから決意を固めて、2010年6月に民事訴訟に踏み切ります。
 3年間の裁判闘争の結果、2013年10月7日、京都地裁で勝訴の判決を勝ち取ります。判決は、在特会の行為は人種差別撤廃条約が禁じた人種差別に基づく違法行為であるという画期的な認定をします。その上で、①約1,200万円の損害賠償②朝鮮学校周辺で学校関係者への面談強要および学校を誹謗中傷する演説・ビラ配布・徘徊の禁止、の2つを命令したのです。人種差別に基づく違法行為を認定したことの重要さはもちろんですが、現場の当事者としては②の街宣差し止めの意義が大きいと金尚均さんは指摘します。当事者を直接守るからです。
 今回の判決は、在特会のヘイト襲撃が個別の生徒や教師という個人ではなく学校全体に損害を与えたと認定した上で、街宣差し止めまで踏み込みました。新大久保のヘイトデモを中止に追い込んだのと同じ地平の結果をもたらしたのです。しかし、ここには法理論上の見過ごせない問題があることを、金尚均さんは指摘しました。今回の判決は学校全体を被害者と認定しましたが、これは「学校法人」としての京都朝鮮第一初級学校です。法人すなわち“法制度上の個人”で、実態や判決の影響はどうあれ、あくまでも「個人」を救済したものなのです。ある集団全体に人種差別が行なわれても、個人に具体的な損害が生じていない場合は損害賠償を命じることはできないという線を、この判決は崩していません。今回の判決をそのまま適用して、新大久保地域全体での街宣差し止めが命じられるかどうかというと難しいのです。個人ではなく属性(民族・性別等)を理由にして差別が行なわれた場合に、それを問題にできる法的な理論が必要というのが、金尚均さんの指摘する課題の第1点です。
 課題の第2点は、在日コリアンの民族教育権をきちんと社会の中に位置付けることです。在特会のヘイト襲撃の動機は、在日コリアンの民族教育への敵意です。しかし、判決はこの点は意図的に触れていません。また、「みんなフラット(平等)ですよ」という思考から始まる“基本的人権の尊重”では、在日コリアンへのヘイトクライムが始まる歴史的事情の捉え方が弱い、それが日本社会の弱みになっていると金尚均さんは指摘します。

<2つの闘いをマイルストーンにする>
 新大久保カウンター闘争にたくさんの人が決意を持って集まったことがとても貴重なことと前置きして、金展克さんはこれから何をしたらいいかを語りました。「熱量」という表現を使いましたが、その高い熱量があるうちに状況が後戻りできないような「マイルストーン」(注:物事の進み具合を確定させる節目)をきちんと作ることを切実に望んでいるとのことです。具体的には、何らかの法制度を作ること。これが当事者にとっては安心度が高いとのことです。
 ここで京都裁判闘争が勝ち取った地平を発展させる方向性が出てきます。法律によるヘイトクライム規制の問題ともつながっていきます。この問題に詳しい師岡康子さんが会場にいらして、話をうかがうことができました。
 国会議員の中で2014年にも規制法案を提出する準備が進んでいるが、今の国会状況では成立させることは難しいのではないか。刑事規制は時間がかかるので民事規制(たとえば人種差別禁止法)でヘイトスピーチ規制を入れるという進め方が考えられる。また実現性で言えば、地方自治体で条例等を作ることはやりやすいとのことでした。
 どのような方向で進めるにしても、一つ考えなければいけないことがあります。コメンテーターの鵜飼哲さんの指摘です。排外主義の闘いの前面に在日コリアンが出ざるをえない状況を作ってしまったことの問題。2つの闘いは力強いが、日本の圧倒的な排外主義の中でそれは、在日コリアンが危険な圧力にさらされるということを意味します。これは私達自身が克服しなければいけない課題と鵜飼さんは指摘します。
 これから私達はどうするのか?日本人に求めることは何ですかという質問に、金展克さんも金尚均さんも異口同音に「現場に来ること」と答えています。たくさんの人が集まることに計り知れない意味があるというのが、当事者の想いです。

<「カウンター以前」の取り組みから活かすもの>
 私達「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下、「連絡会」)は、2010年に活動を始めました。今のような街頭でのカウンター行動は誰も展開できていない時期です。その頃の運動をもう一度振り返り、今後に継承するべきものを考えてみました。報告は当連絡会メンバーMYです。
 連絡会が始まったきっかけは、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件でした。レイシストのデモとそれへの抗議。そこから起こるある種の混乱状況の中で地域の運動が停滞していってしまった現実を、私達は重く受け止めました。
 この事件をきっかけにして始まった「行動する保守」グループの暴力的な直接行動、攻撃目標とした個人や集会に直接襲撃をかけるというあり方は、当時いろいろな団体に動揺を引き起こします。連絡会にも問い合わせが相次ぎます。連絡会としてはそれを受けて、現場のトラブルへの対処方法を研究するとともに、攻撃の対象にされた集会が平穏に進められる環境を作るために監視・警備をすることをめざしました。ある外国人集住地域の場合は、大使館を含めた関係者が攻撃の拡大を防ぎ事態を鎮静化するために相当努力を積み重ねており、連絡会もそれを支えるために動きました。その地域や個人が繰り返し攻撃を受けることを避けることを第一に考えて、慎重な対応をしたのです。
 しかし、2013年の新大久保のように攻撃が反復して継続する場合には、このような行動様式では取り組みが弱くなってしまうことを、今は改めて感じています。
 また、新大久保カウンター闘争の盛り上がりを支えたのは、地元商店街の人達が取り組んだ地道な署名活動の取り組みだったのではないかととらえ返しています。レイシストは攻撃目標を絞ると、しつこくやってきます。そうすると「こういうのを認めていいのか」という世論が必ず出てきます。それを強めていって社会的包囲網を多くの人の力で作っていく、それを連絡会はめざしていきます。さまざまな現場に足を運ぶ、さまざまな思いを重ねながら、みんなの知恵を集めて解決していきましょうと結びました。

<ネット右翼と「行動する保守」の土壌>
 集会では、2013年の動きの確認だけではなく、それが国家レベルでの中期的な排外主義の変容の中でどのように位置づくのかを明らかにしようとしました。「2000年以降の差別・排外主義の動向とその背景」を当連絡会メンバーFGから問題提起しました。
 一つは1995年の河野洋平官房長官談話に反発する形で始まった、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史修正主義です。「軍隊慰安婦は強制ではない。朝鮮人強制連行はなかった」などと歴史的事実を捻じ曲げる主張を展開し始めました。
 もう一つは、1980年代のスパイ防止法制定策動から始まる右翼国民運動の流れです。これが1990年代以降に、「対テロ」の形を取り始めます。1995年地下鉄サリン事件、2000年石原都知事「三国人が暴動を起こす」発言、そして2001年9.11事件によるアメリカの「テロとの戦争宣言」。これが“異端者あぶり出し”の動きを強めました。
 この二つが合流した表れが、2008年にノンフィクション作家工藤美代子が大手出版社の雑誌に発表した記事です。そこでは「関東大震災時の朝鮮人虐殺は正しかった」と公然と記述されていました。趣旨は「テロリストになる可能性がある(から虐殺も仕方がない)」というものです。
 ネット右翼や「行動する保守」グループは、このような土壌の上で活発になりました。公然と登場したのは2004年のイラク人質事件バッシングです。街頭でプラカードを掲げて攻撃を加えるなど、それまでの街宣右翼や新右翼とは異なるスタイルが、この時初めて登場しました。そして、「新しい歴史教科書をつくる会」以上に、民族排外主義の色が濃厚です。民族差別の領域だけではありません。社会的弱者が権利を行使することを徹底的にたたきます。それは、生活保護バッシングに見られるように、政治家が先頭を切ってそれを草の根が追っていくという構造にもなっています。
 ネット右翼や「行動する保守」グループが跳梁跋扈する歴史的・政治的背景を見ることで、彼らに対してどのようなアプローチをするかを考えていこうと提起しました。

<戦争レイシズム>
 コメンテーターの鵜飼哲さんに、4人のパネリストの方のお話のつながりについて、適宜まとめていただきました。
 まず、金展克さんと金尚均さんのお話を、私達がどのように受け止めたらいいかについてです。潜在的にあるはずの反レイシズムの世論を顕在化させなければ運動に未来はないが、新大久保カウンター闘争はそれを実現した。大きな一歩と評価しています。それと同時に、この国が戦後一貫して否定してきた朝鮮の人々の民族的教育権を確立する方向性を作っていかなければいけない。京都裁判で勝ち取った成果を発展させるために、私達が真剣に考えるべきポイントだという提起でした。
 そして、全体の話を「戦争レイシズム」という視点でまとめました。
 「何段階かを経て日本人の精神的再武装が進められている」という海外での論評を紹介されていました。2002年の小泉訪朝から始まった北朝鮮バッシングが、その第1段階。それが安倍政権になって、中国・台湾との領土問題をきっかけにして飛躍的に強化されています。そのような状況の中では、レイシストが新大久保でがなり立てるスローガンは、韓国に対する「戦争宣言」だということ。戦争をするというメッセージでレイシストは街頭に出てきた。そのことを世論に喚起しなければならない。
 そして、札付きのレイシストである石原慎太郎が3期にわたって東京都知事を務めているわけです。つまり、東京都民にとってはレイシズムの問題は重要ではなかった。このことの持つ問題を私達は見据えなければならないと訴えました。
 「これからテロリストになる可能性」という論理について、これはイスラエルがパレスチナを攻撃する時に使われるものだと指摘します。70年前に日本がやったような侵略戦争だけが戦争の形ではない。イスラエル型の戦争があるのだという指摘です。
 「関東大震災からまだ90年」「戦争になって最初に殺されるのは在日」という在日コリアンの言葉を紹介しつつ、在日外国人を徹底的に排除する中で成り立っている戦後のあり方を問い直していこうと結びました。

<未来に向けて>
 最後に、未来に向けて2013年の闘いが切り開いた地平について、手前味噌ですが当連絡会メンバーFGの発言を紹介してこの報告を終わります。「今後反ヘイトの闘いを進めていくにあたって、この1年間の闘い、特にカウンター闘争をどのように評価するか」という司会からの問いかけへの発言です。
 「活動家だけではなく普通の人が参加して自分の意志でプラカードを掲げたこと、創意工夫した戦術で立ち上がったことがすごいと思う。参加者は延べにしたら大変な人数になっているし、メンバーや戦術は、特定秘密法案反対や沖縄辺野古基地建設反対の闘いにつながっている。それぞれの闘争課題ごとにタコツボ化してしまった現状を食い破るうねりができたことを実感している。人間の尊厳を踏みにじるものに対しては立ち上がらなければいけないという気持が(お互いに)伝わっていく流れができた」。

以上