2012年2月6日月曜日

Column No.01 「排外主義と闘いつつとらえかえすこと」 by 直

-----排外主義と闘いつつとらえかえすこと-----
By:直       

 1971年にヒットしたジョン・レノンのImagin は、今に至るもずっと歌い継がれている。国境もなく、人類が兄弟・姉妹のように分かち合って生きる世界を目指すことが歌われている。
しかし、この間にも、アフガニスタン、イラクなど、大規模な侵略戦争が行われてきた。また、ヨーロッパでもアメリカでも、排外主義の高まりの状況がある。そして、日本でも在特会などの排外主義運動が行われるようになった。

 なぜこのような排外主義が起こってくるのだろうか。国家政策として、国家間競争をあおるため、不況による政府への不満をそらすため、あるいは、戦争に駆り立てるために、愛国主義と排外主義があおられる。日本では、在特会の登場以前に、「日の丸・君が代」の押しつけがあり、また、日本の侵略を肯定するつくる会の教科書の登場があった。
 さらにそれ以前に、外国からきた人々に対して、自分たちの共同体とは異質な存在であり、「何をするかわからない存在」という日常的な意識にしみついた差別・排外主義の感情があるようにも思う。
考えてみれば、日本にきている外国人の多くが生きるための仕事を求めてきている。それは、日本人の中で、都市部から離れた地域の人々が都市に働きにきているのと同じようなことだ。日本語の壁などを考えると、外国からきた人々がどれほど苦労するかは明らかなことだ。まして、難民として来ている人々の苦労はいかばかりだろう。そうした人々の状況に思いをいたせないわたしたちの感性はどうなってしまっているのだろうか。
 
 わたしの友人のカメラマンがバングラデシュの農村を取材にいったときの話を聞いたことがある。初めて会う人たちがそれぞれ「どこへいくんだ?飯は食ったのか?」と聞いてくるというのだ。そんな言葉に誘われて、家におじゃますると、普段その人たちが食べているものよりも良いご馳走をしてくれる、というのだ。かなり親しくなれば、普通の家庭料理が食べられるそうなのだが。
 こうした風習は、かつて様々な地域にあったようである。しかし、現代資本主義文明の真っ只中で生きているわたしたちは、こうした感覚を失ってしまっている。原発事故の中で、現代文明のとらえかえしが迫られているわたしたちだが、排外主義という観点からも近現代文明のとらえかえしが必要なのではないだろうか。

 排外主義行動を行う人々の仲には、いろいろな傾向があるようだが、私たちが直面してきた在特会は自らを保守と言う。その言動は激しく、私の持つ保守イメージとは異なるのだが。確かに、日本で最大の特権を持っているアメリカには抗議せず、「原発の火を消すな」というに至っては財界とも大して変わりのない思想だ。自分たちがきっかけをつくって、人を警察に逮捕させて喜ぶ様は、旧来の右翼の人々の中にも顔をしかめたくなる人がいるのではないだろうか。かつての暴走族だって、これほど警察といちゃつくことは恥じたのではないだろうか。
強きにへつらい、弱きをいじめる。日本の庶民感情としてあるといわれる判官びいきとは全く異なる。もちろん、この判官びいきが排外主義の前には、しばしば失われてしまうことがあるのだが。

関西の人たちの話では、「在特会が押しかけてくるというと、集会に多くの人が集まり高揚する」との話を聞いていたが、関東でも昨年12月14日の「日本軍慰安婦」問題での外務省包囲行動は、そのような状況がつくられたのではないかと思う。そうやって包囲していくことが最も重要だろう。
そして、国家政策としての排外主義とも闘い、同時に、在日や滞日など様々な人々と交流して行きたいとおもう。

 わたしはこれまで、「障害者」解放運動にかかわってきた。そんな中で、様々な立場の外国人とされる「障害者」とであってきた。そうした人々から学ばせてもらったことは本当にかけがえのないことばかりだ。
あらゆる民族や階層の中に「障害者」はいる。彼・彼女たちは、それぞれの重荷を日本人「障害者」とは異なって持っている。彼・彼女たちと友人であり続けるためには、民族差別とも闘う以外にはない。
 また、資本主義の中心的な国々の中で、民族排外主義が強まるのと並行するかのように、「精神障害者」を「危険な者」として排除する傾向、重度の「障害者」や病人のいのちをきりすてようとする動きが強まっていることも事実だ。
 人が生きることを最も大事なこととして、そのために世界を分かち合う。そこに向かって少しでも進めたら、と思う。